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ここでは生きていけないと感じた時のこと
今この瞬間にでも涙がこぼれ落ちそうになりながら
文章を書きはじめます。拙い文章だけど読んで貰えたら嬉しいです。
私、ここにいては腐ってしまう。ころされてしまう。
今までにそう思ったことが何度かあります。
はじめてそう思ったのはまだランドセルを背負い慣れない頃の私。
恐ろしい程に暴力的なパパと一般的な母像とは離れた一人の女性としてのママが
私の両親だと気付いた時。知ってはいたものを残酷なほどに自覚した時。
離婚こそしていたものの、私は両家に板挟みになった。
関係こそ切っても切りきれぬ、逃げきれぬものだと、
呪縛はいつまで続くものなのか、果てない呪縛に
どうしようもなく非力な私が絶望した日。
誰も救ってくれる大人などいないということに気付き、八方塞がりになったあの日。(細かなことはここに書ききれないほどあるので割愛する。)
・
二回目はリボンの付いた、地元ではカワイイ方と言われていた制服を
少し着慣れてきた時期。廊下に出れば男子校。教室内は女子校。
学校はそんなふうに極端な環境だった。
教室内だけでもジャンルの区別化が進み、
くっきり分別されるまでそう時間はかからなかった。
生真面目でスカートを折らなかった垢抜けない私と
絵やセンスや思考が評価された私。中途半端な立ち位置にいた。
本当にちっぽけなことの積み重ねをきっかけに私は人間関係に失敗した。
担任への極度の悪口大会、この前まで隣や同じグループにいた女の子が
少し離れた場所でわかるように悪口を言って笑って、その子を一人にしたり、
ジャンル別同士で互いを見下しあう女の子たち。何も楽しくなかった。
スケッチブック、可愛いと思って選んだ少し変わった筆箱、部活動で出会った写真機や休みの日に逃げ込む、片道二時間で行ける広くて少し汚れたうるさくキラキラした東京という魔界。
自己表現だけが私の救いで、魔界で得る刺激や衝動だけを頼りに握りしめて生きていた。映画に出てくる何もかもを引っ掻き回してしまうような面白みのある奇跡のような転校生が来ないかなといくらでも願った。魔界を中心として作られていたであろう雑誌を買うためにお財布を空っぽにした。
ひたすらに同志に出会えないかと渇望する日々だった。
高校に行くまでの明るくてみんなと面識のある自分が好きだった。
振り返れば、ほぼコンプレックスなんか気にすることもなく
インターネットに没頭していたあの頃の自分が泣いていた。
・
就職か進学か。選択しないといけない時期に私は美大に行きたかった。
その時点では歌、絵、写真、雑誌が好きな私はどれを職業にしたいのか
明確に決めることができなかったけど、行けば絶対に確信が持てると思っていた。
漠然と私は芸術の道を歩む人間だとばかり思っていた。
しかしそれではパパが納得してくれなかったし、納得させることができなかった。
好きだった美術の先生が私に推薦状を書いてあげると言っていた。
ひたすら嬉しかった。答えられなかった。私は無知で弱くて曖昧だった。
先生の言葉がずっと刺さったまま高卒で入社試験に合格し、会社員になって一年以上経過していた。
・
リクルートスーツを幾つか買ってもらい、
卒業してまもなく開けたピアス穴を必死に隠して
工場員のような数カ月の現場研修を終えた。同期がいたのでなんとかやりきれた。
本配属された先は社内でも有名なブラック上司がいて、課長だった。
もともと全く興味のない分野の会社ではあったものの、
日々仕事のやりがいを見出し積極的に仕事に取り組んだ。
それなりの評価も受け、課長とは正面から腹を割って話をしてぶつかることもして、私を気にかけるようにもなってくれたりとそれなりに満足していた。
休日に芸術の世界に触れることをやめなかった私は、撮影に没頭して時間を忘れるようなひとときに気付いた。それと同時に、ある程度自分の職務を突き詰めていった結果、行き止まりにぶち当たった。子会社であったため親会社が判断をしていないノータッチで手付かずな未開拓な部分が多すぎた。やっていたことの筋が通っていないことに気付いてしまった。やること仕事もなくなり、熱意も消えてしまい身体と心が思うように動かず、暇に耐えきれず、自分が腐っていく感覚に耐えられなかった。私にはやりたいことがあるのに。どうして自分の時間をこんなふうに消費しているのか。
適応障害の診断を受けて二ヶ月休職をし、二年足らずで会社員を辞めた。
・
最後とするのは、この地元で生きる私のこと。
例えば
高校生の頃、束の間バンドで拙い歌を歌っていた時期がある。
楽しかった一瞬もあるけれど、
端的に言えばここでも人間関係の話。ウマが合わなかった。
彼らがゲラゲラ笑っているおもしろポイントがわからなかったし
彼らも私のこともわかっていなかったと思う。
わかっていないだろうをいいことに、
オリジナル曲を作る際の作詞は精一杯好き勝手書いた。
私を救うための皮肉を並べたりした。作詞だけ楽しかった。
一緒に演奏していたメンバーも詩の意味はわかっていなかったけど。
その界隈の繋がりが多い子とほぼ絶縁状態にあるということもあって
その界隈のメンバーとは会うことに気まづさがありなんとも言えぬ感じで
私は界隈から身を引いている。
地元が嫌いなわけではない。
のどかなところもあり、田舎っぽさも香りも落ち着く。
21年間も生活してしまえば嫌いにはなれない。
只、元居場所は既に身を引いた場所ばかりなので遭遇すると居所が悪い・・・。
浮いてしまったのだなと感じざる得ない。気まづさが残ったりする。
なので私はもう待たない。違和感は全て置いていく。
自分からソウルメイトに出逢うため、ミスiDに挑戦した。
自分自身に挑戦を挑んだ。
私の表現を愛おしく思ってくれたり、生活、人格まで見てくれる人に出逢いに。
面白さを共有したり、共鳴してくれる表現者に出逢う為に。
そんな素敵な方々に出逢って、衝動ゆえはもっと面白くなり、
魅力的になっていき、輝きを放っていく。