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『マッドマックス:フュリオサ』 鋼鉄の神話

『マッドマックス:フュリオサ』(2024年/ジョージ・ミラー)

【あらすじ】
アニャさん激おこ

FRがチキチキマシン猛レースだったのに対して、1作目を思い起こさせるような真っ当な復讐譚。言い換えれば、東映女囚さそりみたいな映画。

だけど自分は、本作をFR前日譚としてではなく、『アラビアンナイト 三千年の願い』の系譜を引き継ぐ"続編"であると感じた。

ジョージ・ミラーが2022年に監督した前作『アラビアンナイト』は「人間にとって"物語"とはどのような意味を持つのか?」というテーマに真正面からアプローチしてみせた傑作だった。
"物語"にまつわる"物語"の映画。
ジョージ・ミラー本人が「映画こそが現代の神話なんだ」と語っている通り、『アラビアンナイト』は"神話"にまつわる"神話的構造"を持った"神話"そのもののような映画だった。

こういったメタ的な視点が『フュリオサ』にも通底しており、その物語は、神話を脚色しているものではなく、"神話そのもの"として表象されている。

主人公フュリオサ(Furiosa「怒れる女性」の意)の故郷である緑の地では、ヴヴァリーニ、またの名をメニー・マザーズと呼ばれる女性のバイク集団が身を潜めていた。
幼いフュリオサは、ウォーロード・ディメンタス(Dement「発狂する」の意)率いるバイカー集団にさらわれ、林檎が実る"楽園"、そして母親と離別することとなる。
ディメンタスたちと共に砂漠を放浪することとなった彼女は、様々な専制君主=神(タイラント)たちと接見しながら、必ず故郷へと帰還することを決意して生き延びていく。
15年間に及ぶ彼女の旅路が始まる。

このシノプシスを読むだけでも、『フュリオサ』が壮大なオデッセイであることは明らかになるはずだ。
本作はひとりの女性の叙事詩でありつつ、文明崩壊後の黙示録でもあり、まさしく神話そのものとして機能している。

物語を神話のように語るのではなく、物語を神話そのものとして構築していく作家性こそが、ジョージ・ミラーのオブセッションに他ならない。

その神話的性格は、事もあろうにFRをも超越した強固さを備えており、明確にFRとは異なる"神話"を確立させたい欲求に従って撮られているように感じた。

ジョージ・ミラーは同じテーマやメッセージを自作で繰り返しがちな作家だけれど、決して同じような表現はしない。
彼のフィルモグラフィにおいて"続編"と呼ばれる作品では、必ず前作と異なるアプローチで物語ることを挑み続けてきた。
特に『マッド・マックス』から『マッド・マックス2』への拡張が最たる例だろうが、『ベイブ』にしても『ハッピーフィート』にしても、商業的な選択(前作でウケた点を更に増大させること、前作のファンである観客が求める表現を提供すること)に揺らぐことなく、己のクリエイティビティの限界に挑戦するかの如く映画を作ることができる稀有な作家だ。

だから『フュリオサ』は、FRとは作風も叙述方法も、何もかもが異なっている。
もしかしたら、FRのような映画を求めていた観客にとっては、いささか困惑するような映画だったかもしれない。
自分は、FRとまるで似つかない本作に、まずは心から安堵した。

FRから9年後の"続編"なのではなく、『アラビアンナイト』から2年後の"続編"として捉えた方が、よっぽど本作の価値を見出せるような気がする。

『アラビアンナイト 3000年の願い』

FRの舞台のほとんどが屋外だったのに対して、『アラビアンナイト』ではイスタンブールのホテルの一室、ロンドンのアパートと屋内ばかりが舞台となる。
台詞を最小限に削ったFRと相反するように、『アラビアンナイト』は会話劇で進行していく。
3日2夜の時間のみを切り取ったFRと、3000年の時間を扱った『アラビアンナイト』。

そして『フュリオサ』には、そういった『アラビアンナイト』における表面的な作法も確かに受け継がれている。

クライマックスで描かれる果てしれぬ会話の問答こそ、あまりにも"神話的"としか言いようがない。
賢者の老人による伝承のスタイルにしても然り(彼はフュリオサに対して、文字というよりも"言葉"を授けている)。
イモータン軍とディメンタス軍の戦闘がさらっと省略されるものの、そこにボイスオーバーで"言葉"が重なる。
略奪した側のディメンタスは、毎回プロレスのように演説で喋りまくり、奪われた側のフュリオサはその横で沈黙し続ける。
FRが運動の映画だったとしたならば、本作は言葉の映画なのかもしれない。

劇中、フュリオサの背後に迫る炎を、彼女が鉄柵越しに背中で受け止めるシーンがある。
炎を通さず、より強さを増すものとは何か。

だから彼女の義手は鋼鉄で出来ている。

世界が自分を救ってくれなくとも、鋼の意志さえ持ち続けていれば、自分の尊厳を失うことは絶対にないはずだ。

と、御年79歳の神話大好きおじいちゃんが俺たちに伝えているんだぜ!たぶん!

追伸:ディメンタスの「飽きた!!」には今年一爆笑しました。すごい台詞だったと思います。

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SUGI
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