「ありがとう。」が言えない
「ありがとう。」が言えない人がいる。
それは、現在の職場の女性上司。
それは、私の家族。
それは、小学3年生の頃の私。
人から何かしてもらったら、「ありがとう。」というのはマナーであり、信頼関係の構築に欠かせない単語だと私は考える。
たとえ、自分のためにやってくれたことで内容が少しズレていたとしても。
ただし、しつこくお節介を焼かれてしまった時は勘違いさせてしまうのでハッキリと伝えたほうがいいと思う。
今回は私が「ありがとう。」と言えなかった頃の話を書いていく。
私は忘れものが絶えない子供だった。
やる気がないのではない、連絡帳に時間割を書いていても忘れてしまうのだ。
勉強が嫌いだったわけではない、公文式では小学校で習うカリキュラムを追い越しているのだ。
忘れ物が減った話はまた別の機会に書いていくので、本題に戻そう。
小学3年生の3学期、席替えで田中(仮名)くんの隣になった。
田中くんは私を警戒していて、私の机から自分の机を少し離していた。
なぜなら、私は忘れ物をしても開き直ったり、申し訳なさを一切出さないからだ。それでいてテストの点数は常に80点以上なのでロクでもない奴だと思っていただろう。
それでも私は平気な顔をして教科書を忘れる上に「ありがとう。」と言わなかった。
とうとう、田中くんの堪忍袋の緒が切れた。
お前さ、人が教科書見せたりとか鉛筆貸したりしているのに「ありがとう。」の一言が一度もないってどういうこと?
帰りの会でこの事をみんなに話すけどいい?
こう言われた時、私は驚きと恐怖を感じた。もちろん、田中くんは怒りと悲しみを今まで感じていただろう。
田中くんに対してどのように返したのかは記憶にない。だまって、泣きながら質問に対してうなずいていただけかもしれない。大人になるまでこのような緊迫した空気になると頭が真っ白になってしまっていた。
ちなみに、「ありがとう。」と言わない理由を現在では答えることができる。
私の家族は「ありがとう。」や「ごめんね。」を言えない人たちの集まりだった。
子供にハーゲンダッツを食べさせ、中学受験をさせ、海外旅行に連れていくようなお金のかかるプレゼントを与えることは得意だが、言葉でもらえたのはプレゼントではなく、刃物だった。
「明日、粗大ごみの日に捨てる」、「首絞められたいの?」、「あんたはよそんちの子だよ。近所の畑の野菜に青虫のようにくっついていたのをここまで育てたんだよ」
このような言葉が「ありがとう。」、「ごめんね。」、「大好きだよ。」の代わりに言われていた。
こういった言葉を笑いながら子供に告げるのだ。幼稚園や小学校で言葉の大切さをいくら学んだとしても、日常で使われる言葉が不適切であればあるほど、適切な言葉は出てこないものである。
思い出すだけで悲しみがこみ上げてくる声掛けだ。よその家の子であれ、自分の家の子であれ、こんな事を言えるのが現在となっては不思議で仕方ない。
田中くんは必死にそんな私へ言葉の大切さを教えてくれた。
内容は20年も前の話なので記憶にない。それでも、その時の熱量は覚えている。
彼は3兄妹の長男なので、末妹に言い聞かせるのと同じような気持ちになっていたかもしれない。
授業中にもかかわらず、そんな熱量で話す田中くんと熱量に圧倒されて静かに涙を流す私に周囲の子たちが気付き始めた。
私はとても恥ずかしかった。2人だけで完結していたい内容を気づかれてしまったからだ。
幸いにも周囲の子たちは大騒ぎするような性格ではなく、見守ってくれるような子たちだったので大事にならずにすんだ。
それからは勇気を出して少しずつでもあるが何かしてもらった時は「ありがとう。」と言えるようになったと思う。
そして、中学では武道系の部活に入ったので「ありがとうございます。」を必ず言うようになっていた。
言葉は信頼関係を築くための硬貨だ。
もちろんこれは目に見えないものである。
目に見えるものは分かりやすいから人に与えやすいだろう。しかし、目に見えないものを人に与えることがどれだけ大事か、大人になって身に沁みている。
正直なところ、現在の女性上司には「ありがとう。」という習慣をつけてほしい。しかし、彼女の年齢は40~50代くらいなので正直難しいだろう。
私はこれからも様々な人と出会い、信頼関係を築くために目に見えない硬貨として、「ありがとう。」や「ごめんね。」と言い続けていきたい。
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