ただの日記 #7 パスポート
しんどくてしんどくて、筋が通っていなくて人間的な生活なんて全然できなかったADの仕事に戻りたいなと思うぐらいには、この生活がまあまあいやだ。
「いっそ、野放しにしてくれよなあ」と同期と喋った。
ほんと、長期的には役に立ちますから・・本読まして。
景色が机の前のコルクボードから変わることのない毎日、ネットのニュースからのみ企画を見つけようなんて、考えてみたら難しい話だ。
都庁とレインボーブリッジが赤く光るだけの東京アラートが発令されたりとか、持続化給付金予算から20億円中抜きされてたり、アメリカの騒動も続いている。今日は75歳の男性がバッファローで警官に突き飛ばされて頭から血を流していた。素通りしていく10人単位の警官たちと、仰向けに倒れるおじいさん、、酷い画だった。
ただ、手触りがない。肌感覚で掴み取れるものが、なにもない。PCを開きさえしなければ、今日も世界では何事も起こっていないような気さえしてくる。ベランダのガジュマルが、根が張る苔玉の大きさと不釣り合いなくらいぐんぐん成長していることに、唯一自分以外の生を感じる。
そういうわけで、今企画だけ書く生活は相当酷なのである。
と思う権利を自分に与えることにした。
いろんな因果があって、最近、意識してこれまでの友達たちと連絡を取り始めた。1人の時間が欲しい!と散々喚いていた数年間だったから、ほんの数人以外決まって連絡を取る人がいなかった。仕事も私生活も、返信がめちゃくちゃ苦手だ。苦手というか、そこに物凄い労力をかけてしまうので、自然と読まなくなるし、じっくり考えようと思って寝かせておいたつもりが数年になっている。
7年前から会えていないイタリアの友だちとか、4年前にミネソタの家に遊びに行ったっきりだった友だちとか、本当に久しぶりに話していて、いい気持ちになった。画面越しのコミュニケーションに変わりはないけれど、この事態が落ち着いたら行くべきところは世界中にあるし、勝手に圧を感じてしまう会社の人たちも、当然一生顔色を伺う存在じゃない。この毎日に熱意が持てないのも、別に自分のせいじゃないぞ〜〜〜 作り出すことより、見つけ出すことが好きなんだから仕方ない。
投資のための口座開設に必要な書類を区役所に取りに行って、帰ってきたら高校の友だちから電話がかかってきた。自称進学校だった出身校では、その年唯一、大学に進学せずすぐに働き始めた友だち。この4年間、ずっとオーストラリアとかニュージーランドで働いてお金を貯めては、旅に出て、またお金がなくなったら働いて暮らしてきたらしい。努力家で、べらぼうに英語ができるのに、生活保護を受けていたから18までパスポートが持てなかった。当時話を聞きながら悔しくて我慢ならなかった高校生の私が聞いても悔しいだけかもしれないけど、大人になるということだけで解決することは、たくさんある。先のことは分からない。頼れるのは自分だけだから、当時より遥かに心許ない。ただ、同じように半歩ずつ何かを掴み取って歩いてる友だちがあちこちにいるのを思い出すと、手応えのある何かが、少しずつ自分のなかに戻ってくるような気がする。
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