見出し画像

自分を変えたいと思うときは、人生を変えたいと思うとき。

私がジャーナリングコミュニティでお世話になっている
Kanaさん。
その発想力や想像力にはいつも驚かされるのですが
(人生少なく見積もっても3回目くらいだと思う)
数日前にこんな記事を書いてらっしゃいました。

この記事を読んですごく納得したんですよね。
私の人生はすごーく平凡だと思うし、今もそう思ってるけど
多分5年位前に比べたら今はすごくわくわくして毎日が過ごせていると思うのです。
大きくはなくても人生は変わったかもと思えるから。
このKanaさんの記事は、何か始めたい、自分を変えたい、変わらなければと
思っていても何も変わらない…と嘆いている人にぜひ読んでもらいたい(私もその一人)。

ざっと5年前の私に比べて私が変わったのかというと
確かに、行動力にやや毛が生えて、
自分のやってきたことに少しは自信が持てて、
その間にジャーナリングを始めて
関わる人が変わったというのは多少あると思うのだけど、
変わらず組織に属して働き、
子供二人の母でもあり、
毎日4時ころ起きて活動する
みたいなことは変わらずにいることだなと思います。

今回の記事の中で私はいちばんしっくり来たポイントはここでした

むしろ「そうそう!その方が〇〇さんぽいよ!!」って思うことが増えて、変わったというより【取り戻した】という方がしっくりくる。

そうなのだ。
本来の私らしさ、たとえて言うなら
自分の好きなものとか、自分の言いたいこととか、やってみたいということなどを出し始めたらいろんなことが楽になって、いろんな出会いもあって、
情報があつまってくるようにもなって、今こんな感じでいて
残りの人生楽しんだほうがいいんじゃないかって思えるようにもなった。
それって「変わった」という感覚より
「取り戻した」というほうが圧倒的に近い。

もちろん現実的に、長女の進学とか子供にかかるお金とか
仕事どうする?とか悩みはいつだって尽きないのだけど、
それこそ無理に変えなくても、自然と変わっていくのかもしれないし
自然と解決することなのかもしれないと思います。
(時が解決するともいう)

私が無理やり変わらなくても
その都度選択するものが少しずつ変わるとおのずとかわるものなのではないのかと。(最近「おのずと」が好きだ)
そうすると自分というよりやっぱり「人生が変わった」というほうが
しっくりくるのかもしれない。だって私はそこまで大きく変わっていない。

あの人変わったよねーというとき、
あの人「人生変わったよねー」ということなのかもしれない。
その人は本当はなにも変わってなくて
実際、変わってないよ、という人は多いし
自分を変えたいと願うときは、人生を変えたい時なのだろう。きっと。

私は、3年くらい前にジャーナリングを始めた時から
人生が少しずつ好転しているような気がしている。
その間大変なこともあったけど、それも含めて今はいい方向にいっているのではと思う(というか思いたいだけなのかも)。
私は好きな「書くこと」で自分の気持ちの所在を明らかにし、
現在地を確認できる作業を毎日できていることは大きい。
現在地がわからないと、自分がどこに向かうのかもわからないですもんね。

最後までお読みいただきましてありがとうございました。



いいなと思ったら応援しよう!