雑記:妊娠から臨月まで②ミソ実家でメンタル崩壊編
◼️1月
実家へ帰省。新型コロナウイルスが流行して以来帰省してなかったのでおよそ2年ぶり。
実の家族といえど離れすぎてて多少緊張していた。
ここでイカれた実家のメンバーを紹介するぜ!
父:後期高齢者目前の昭和初期生まれ。外向きにはそこそこ気のいいお爺さん。家族に対してはやや横柄になりがち。無駄に声がデカい。
隠居生活10年目くらい。
母:今やパートの僅かばかりの収入で家計を支える大黒柱的存在。家でも外でも働き者。おとぼけチャーミング系と見せかけてややこしい家庭をほぼ一人で切り盛りする手腕を持つ。わりと溜め込む・根に持つタイプ。
兄:ちょっと珍しい持病持ち。病気がネックでなかなか仕事が見つからない。ネットに毒されてるパラサイトシングル。根は真面目なちょっと内弁慶。
帰省直後は温かく迎えてもらえて、「あ〜やっぱり実家いいなぁ」と思っていた。が、日常を過ごすなかで小さな「ん?今のって…」という違和感を感じることが徐々に増え始め、およそ1週間たらずでその感覚は「おいおい、この家やべーな」の危機感に変わっていった。
同じ家に暮らしてるのに、暮らしに対してあまりにも父と兄が無関心すぎるのだ。
母は朝早くから仕事に出かけ、夕方過ぎに帰ってくる。
その間、父はコタツで延々と撮り溜めた録画を見続ける。時々、テレビ番組に対する批判めいた独り言を馬鹿デカい声で主張し、いつの間にかこたつでうたた寝している。
兄は少しゆっくりめに起きてきて、ゆっっっくり薬飲んでしばらく放心状態になった後、父と同じくテレビに向かって5ちゃんで仕入れてきた芸能人、著名人批判の意見に対する家族からの同意をひとしきり求め、母から任されている風呂掃除だけこなして自室に戻っていく。その後何をしているかは不明だ。
母は帰宅後、掃除・洗濯・炊事などの家事をひと通りすべて一人でこなして、兄の薬の管理や消耗品の在庫チェックと買い出しリストの作成など細かい雑務も全部一人でやる。
その間も父は母に「あれ取ってこい」だの「これ用意しろ」だの全部コタツから一歩も動かずに命令して、用意されたものにデカい声でケチをつける。
端的に言って最悪だった。
実家にいたころは父のことは「理屈っぽいけどわりとユニークで陽気なおじさん」くらいにしか思ってなかった。仲もそれなりに良くて、一緒に旅行にいったりもした。
それが実家を離れて自分で生活する5〜6年のうちに、こんな絵に描いたようないわゆる「害悪ジジイ」になっているとは…。
兄も優しくて気遣い屋で少し繊細なところも含めて好きだった。が、今となってはただの拗らせたこどおじそのものだった。自分のことも母任せで、出来ていないことに対しての追求が小舅みたいにネチネチと湿っぽかった。
こんなややこしいネガティブ要素てんこ盛りの存在が2人も家にいて、まともに赤ちゃんが育てられるのか。不安しかなかった。
むしろ母が私の子育てサポートに時間を割くことで自分たちが蔑ろにされていることに腹を立ててきそうな雰囲気すらあった。
私は、私のお腹の子は歓迎されていないかもしれない。
そう思って父と兄に腹を立てた後、ひっそりと涙を流す日が続いた。
あまりにも母の負担が大きすぎると思い、家事を手伝ったり仕事終わりにマッサージを施したりした。母はありがたがってくれたが、でもこんなものは問題の根本解決には繋がらない。私がこちらにいる間だけの、その場しのぎでしかないことは明らかだった。
かと言って私はもう外に嫁いだ「他所の家の人」なので、母から正式なヘルプが出ない限りはこの家の状況を改善することもできない。
いつになったら母は家から解放されて、一人の女性としての時間を持つことができるのだろう。そう思うと自然と涙が出てきた。
でも、この地域では、この年代の人たちにとってはそれがマジョリティだ。閉鎖的で前世代的で、悔しいけれどそれが普通なのだ。
私がこの家に馴染むしかない。家族とは表面的に付き合っていくのがベストだと感じた。居場所があるようなないような、心許なさがずっと胸につかえていた。
家にこもっていると怒りと悲しみと不安でおかしくなりそうだった。今思うと産前のホルモンバランスが崩れて少し鬱っぽくなっていたかもしれない。
でもコロナ禍で誰にも会いに行けず、車を持たない私はどこへも行けなかった。
何もできることがないので、狂ったように浅漬けを作って気を紛らわせた。漬け物なんて妊娠前はほぼ作ったことなかった。
そういえばいわゆる「丁寧な暮らし」には必ずと言っていいほどガラスの密接容器に入った「漬けアイテム」が登場する。
漬けることには心を鎮める効果があるのかもしれない。
以下、漬けてみておいしかったものリスト↓
・セロリと納豆昆布
・長芋
・きゅうり
・ゆで卵
・プチトマト
・れんこん
・オクラ
・エリンギ
・柑橘類(グラニュー糖漬け)
・キウイ
そうこうして過ごしているうちに、父に少しだけ変化があった。今まで何でも「やってもらって当たり前」という態度だった父が、母に礼を言うようになった。
父の口からたまに出る「ありがとう」で、かなり気分が楽になった。
あと、あまりに父のテレビ出演者への批判めいた言動(とくにスポーツ選手へのデリカシーのない暴言)に我慢できなかったので「私の子がもしスポーツで有名になって大会とか出ても、知らないおじさんにそんな心無い言葉をかけられてると思うと悲しい。この人たちだってみんな誰かの大事な子どもなんだよ」と伝えると何か思うところがあったのか、少し批判的な独り言が減った。ような気がする。
嫌だなぁと思うところはまだまだあるけれど、父も少し変わろうと努力してくれたのかもしれない。そう思うとこちらも少し歩み寄りが必要だと思えた。
母もあまりにも5ちゃん脳発言する兄に嫌気がさし、「私それ嫌い、仕事で疲れてるのにマイナスな言葉ばかり浴びせないで」と伝えたらしい。
兄は一瞬怒って口数が少なくなったが、数日後には機嫌を直して自分のこともやや積極的にやるようになった。
やっぱり伝えるって大事だな、と思った。
相手が自分の思うように理解して動いてくれるかは分からないけれど、最初から諦めてなにも伝えなきゃ現状から良くなることは何もない。
家族は永遠に同じ形じゃないかもしれないけれど、お互いにちょうどいい距離をとりながら過ごしていくこともできるんだな〜と思った。
こんなに思い悩むなら、仕事してるほうがよっぽど楽かもと思った。笑
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