中村桂子さんの「ご一緒に、考えましょうよ」
先日、中村桂子さんにお目にかかり、記事を書きました。
ワンキャリアという20代前半の若い方向けの媒体です。ビビビっときた方へ会いに行き、大好きな理由を探しに行く特集です。ふつうの取材であっても、取材依頼というのは恋文のような側面があると思います。「このテーマは、あなたじゃないと、だめなんです!」って伝えますから。この特集ではより一層、「あなたのことが好きです」という私の気持ちが前面に出るため、すっごく緊張しました。
前編
前編では、中村さんの「人」の捉え方の大前提としての、「生きもの」の捉え方を伺っています。
後編
後編では、中村さんって、なんで「いい大人」に出会えてきたんだろう、という羨ましさをもとに、私は食い下がっています。
取材から戻って、記事を書くために、中村さんから教えていただいた本を読んでいきました。
『あしながおじさん』を初めて読み、私も、ジューディという人に目が離せなくなりました。こういう子が、大人になって、中村さんのようになるのかもしれないな、と思いました。
『可能世界と現実世界―進化論をめぐって』を読み、フランソワ・ジャコブから中村さんが受け取ったであろう「問題意識」という「バトン」に思いを馳せました。中村さんが30年以上、仕事にしている「生命誌」へ、おのずと誘われました。
高槻市の生命誌研究館を目指しました。
『生命誌絵巻』:中村桂子さんが、ひとつひとつの生きものがもつ歴史性と多様な生きものの関係を示す新しい表現法として考案した図。扇の要は、地球上に生命体が誕生したとされる38億年前。以来、多様な生物が生まれ、扇の縁、つまり現在のような豊かな生物界になった。多細胞生物の登場、長い海中生活の後の上陸と種の爆発など、生物の歴史物語が読み取れる。(原案:中村桂子、協力:団まりな、絵:橋本律子、提供:JT生命誌研究館)
最初に目に入るのが、中村さんに教えてもらった『生命誌絵巻』です。その原画をじっくりと見ました。その日は、5時間ほど滞在したのですが、ぜんぜん時間が足りなかったです。
二回目に行ったときは、中村桂子さんがいらっしゃいました。中村さんから「今度は取材ではなくて、ご一緒に考えましょうよ」と言われました。
『科学者』というのは、「どこまでが分かっていて、どこからが分からないか」を知っている人のこと。「今、ここまで分かっているよ」と正直に伝えるのが『科学者』の役割。中村さんはそうおっしゃいます。『科学者』という言葉へ自分が持っていた色眼鏡が、ひと言で吹き飛び、爽快でした。新型コロナウイルスや豪雨といった、「日常的」でありながら、複雑で「総合的」な問題について、今こそ、みんなで力を合わせて考えましょうよ、と。
取材のなかで、中村さんがおしゃる「競争」は、別の言葉でいうと、「欲望過多」かもしれない、と私は思いました。生きものが求める以上に、人間が「求めすぎている」。それは、身体や心が求める以上に、「頭」が求めている・・・と。
私は、記事にも匂いがあるように、コンピュータが生まれてまもなく誕生し、物心が付いたときには、家で父がパソコンで仕事をし、携帯電話は中学生のときにありました。
自分で自分のことを「デジタル人間なんだ・・・」と自覚したのは、スタジオジブリに入社してからです。高畑勲さんも、宮崎駿さんも、鈴木敏夫さんも、ひとりひとりが「色の濃い人間」で、その頃の私はきっと、今よりも、「色の薄い人間」だったと思います。生きている感覚が薄い、というか。
魅力的な人たちに出会い、「自分もこういうふうに生きたいな」というエネルギーで、デジタルからアナログ的なものを求めていったこの10年間だった気がします。その過程で、「頭」よりも、「身体」や「感情」の動きに、だんだんと敏感になってきました。「頭」が求めすぎなくなり、「身体」や「心」が求めるものに素直になってきました。
だから、先月、中村さんにめぐり会えたのだと思っています。
「ご一緒に、考えましょうよ」ーー私の大好きな言葉になりました。