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#021 よく〇〇な30年間というけれども

こんにちは fumioです。
「泣いて馬謖を斬る」(規律を保つためには、たとえ愛する者であっても、違反者は厳しく処分することのたとえ)という諺がありますね。
まさか、自分の身近でこの諺を意識することがあるとは??
しかし、私の身近では、馬謖は斬られていませんが・・・・。

さて、本日のお題「よく〇〇な30年間というけれども」です。
この30年間は、平成時代のことですが・・・。

報道や評論家、政治家がこの平成の30年間を経済もよくならず、政治も停滞して、科学技術も国民の給料もあがらない・・悪いことを並べてきりがない時代のように・・・聞こえています。

私の見方は、企業や家庭の難しく言えば、コンプライアンスのようなるルールが狂った時代と感じています。または、グローバリズム、新自由主義が
秩序を壊した時代と思っています。

そして、その中で、家族が子育てや介護を社会で支えるという文脈から、社会という漠然とした存在に、大事なものを任せる(支える)といいながら「捨てた」時代と思っています。

こんなことを書くと「女性」の性別役割を礼賛するのかと言われれそうですが(汗)

もし、とか、たらればの話から「この30年間」が失わなかったとしたら、子育てや介護を社会で支えるということは更に加速して、居たように思います。

私の個人の思いは、こどもも高齢者も生活した歴史のある家族や自宅に戻りたい、大事にしたいと思っていることは変わってないこと、帰りたい、戻りたい、ただただ居たいというあたりまえの場所があると考えています。

それは、「家」という存在を病院や施設などから戻った高齢者などは「あ~、家だ~」という言葉や表情をするからです。
認知症の方が「家に帰る」という言葉も同じだと思っています。

この30年間で、失ったものは、お金や経済の価値ばかりでなく、生活する場所が気づかず失った・・・人と人のつながりが変質した時代と感じています。

無意識に働きかけ、見ないものを見える化し共感と理解を深めていく今の社会と思うので、家族高齢者、人と人が改めて相談援助をしながら、振り返り
今でできる最善の家族の居場所をつくり援助することと考えています。

見えかものが感じたものが、思っていたものじゃない「何か、違う」、個人を見直し周りを見渡し、改めて気づく時期の始まりになるのかも?

そんな人の気づきに伴走するのが
これからの相談援助職の生業なると思っています。このnoteに記しながら、自分を振り返り、支援や取り組みをしながら考えていければと思います。

昔は良かった〜じゃなく、昔も良かったけど
昔のような今って、これからはいいかも^_^
となる様に

温故知新

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