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#186 今、介護の仕事をする専門職は自分が老いた時をどう思うのか?

おはようございます。fumioです。
昨日は、春の陽気でしたね。気持ちがよかった(^^)/妻に誘われて映画を観てきました。アニメですけど・・・私たちの子どもが小さい時に、一緒にハマったので、懐かしく観てきました。

映画の時代は、数年ですが私たちの「時」はもう十年以上の時が経っています。気持ちは、変わっていませんが不思議です。

さて、そんな浦島太郎体験をした後に、自分の老いをどうのように考えるか?「専門職の老い」です。

■私たち世代前後が介護保険のトップランナー
 介護保険制度がスタートしたのは、平成12(2000)年から、その前に介護支援専門員の研修資格要件のための試験を受験して、研修を大勢でうけたことを憶えています。

 平成18年から介護支援専門員として、業務にあたり今に至るという訳です。現在60歳くらいの方が多分の介護支援専門員で、やっと「高齢者」とう肩書を得る時期だと思います。

 人手不足で、リタイヤもせず仕事をしている方がほとんどで、自分が高齢者となったことをどの様に考えているでしょうか?

■自分事として、考える・・高齢者前夜
 正直、現在60歳ぐらい以上の介護支援専門員や介護職の皆さんは、自分が介護を受ける以上に、「仕事をする」とか「人手不足で高齢でも働かされている」と言った意識があり(意識にされて)自分ごととしているのでしょうか?

 私の周辺、特に男女の方は、同じように時代を経て来ているので、自分の身体の不便さは感じつつも、高齢者と感じることは日々の中では少ないのでは?と観察されます。(マジマジ話をすることはないからも)

 また、現在の私の前後の年齢は、こどものころの周辺の活気や人の多さを知っていますが、40歳以降の世代の方は、既に「活気のない、人のすくない周辺」に慣れて違和感も感じないのかもしれません。

 そして、只今noteを綴る私に至っても、正直実感がありません。していることというと、退職を間近にして「まだ、したいことを模索しています」これが、リアルな意識と考えなのか?と綴りながら思います。(現在、50歳~の年代ならこどものころ、60~70歳を「お祖父さんや亡くなる年齢」をイメージしていたと思います。)

 その背景には、老いてのいろいろな疾病への罹患や仕事をするといったこが少ないからということもあるかもしれませんね。

■リアルに感じる介護職の老いのリアル
 私は、仕事の中で、元ヘルパーとか元看護師という方が要介護状態になり介護のお手伝いをしたことがチラホラあります。しかし、片手で収まる範囲です。(記憶では)

 介護職のリアルは、きっと一緒に働いた人に「介護を受けるとき」が本当の介護を考え時が「自分の老いをシンに思う時では?」と思います。

 仏教的で恐縮ですが、「因果応報」ってことですね。この仕事が他の仕事と違うこと「自分のした仕事を受ける側として、当事者になって生活として受け続けること」になる。

■私の場合
 正直、「介護マインドの模範」として、仕事に正直に向き合い、介護も相談もしてきたか?と問われると、そうなのか?と思います。(困ったことに)

 問われたら「日々、習慣と葛藤の繰り返し」と答えるかな?喜怒哀楽を心に秘めらり、態度にあらわしたりとの日々。

 そして、その顛末を経験するのが「私が排泄やお風呂などを受けるとき」更に、「自分の考えと私に介助をしてくれる場面での、人と時間を待つ」時がリアルであり、その毎日の積み重ねの時間の体積が答えと思います。

■イメージできても、リアル感あったりなかったり
 介護職などの援助する仕事の人は、プロセスで理解することと、結果で理解することの2つを無意識に馴れていく。

・プロセスで理解
 目の前で起きている状況をストーリー的に理解して「自分ごと」として理解せずに行動すること・・・概ねこちらの状態で仕事での介護職の頭

・もう一つは、結果を「自分ごと」として気持ちで仕事をすること。
 ストーリーの時点から自分の気持ちと頭で受け止めいる状態のようなイメージですね。

但し、どちらもスイッチは、入るか?ですが・・・。だから、人間は、日々の生活と仕事が継続できるとおもうのですが・・・。

現時点での私の今日のお題の結論は、仕事や生活として日々積み重なる毎日の積み重ねからできる無意識がきっと「他人事」と「自分事」としてストックされていき、私たちのような介護や相談を生業とする専門職が、自分が行ってきたことの場面に遭遇したときに、個人として「他人事」と「自分事」のギャップを感じた時に、答えが出る・・・。

現在は、自分のした介護の様を他者がする反応を「介護する側の個人的な意識」で、処理して仕事をしている・・・でなければ、「葛藤だらけ」で仕事ができないか?この葛藤を処理するために「答え探し」しないと認知的な不協和が起きて大変です。

長々と書いてしまいました。今日も良き日に(^^)/

 


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