書評「江藤淳と少女フェミニズム的戦後: サブカルチャー文学論序章」
「敬愛とバランスの江藤淳論」
今回紹介する書籍は、サブカルチャーの評論で著名な大塚英志氏が、敬愛する江藤淳について述べた評論集である。
章立ては大きく分けて、2つで構成されており、前半は文学者・思想家・人間としての江藤淳がトータルで語られ、後半部に於いては、三島由紀夫や手塚治虫、柳田國男などの人物が抱いていた課題や意識を、江藤淳に接続して述べるという形式がとられている。
江藤淳という人は文学のサブカルチャー化に敏感だったことがファンの間では良く知られており、その事は文中で大塚氏も言及し、前半部の評論の大きな柱とし、さらに副題にも「サブカルチャー」という言葉を使用している。
しかし、大塚氏は冒頭に述べたように、優れたサブカルチャー論を数多く残し、漫画原作も多く手掛けられている。サブカルチャーの優れた批評家である氏が、江藤を(先ほども述べたように)サブに偏らず、トータルでバランス良く評論しているところに本著の面白さと秀逸さが同居しているのだ。
サブカルチャーになぜ、江藤淳はセンシティブな反応を示し、文学の世界でそれに対し、孤軍奮闘をしたのか。その答えを、サブカルチャー世代である作者は江藤の心に寄り添うかのように、綺麗に読み解いていく。
そこに私は深い敬愛を感じ、同じ江藤淳を愛する人間として(一方通行な思いではあるが)シンパシーを感じてしまうのだ。
江藤は戦後に対して、複雑な思い・・・・・・
いや、苦悩と言い切ってしまっていい感情を抱いていた。
それは、敗戦による、日本の近代化の失敗であり、それに基づいて行われた、アメリカ主導の戦後の国作りの過程によって生まれた、どこか手触りのないのっぺりとした戦後の状況である。
勿論、彼はラディカルな革命論者でもなければ、達観したニヒリストでもない。そういった戦後の類型的適応を拒否した先に、江藤淳という人の思想は生まれたからこそ、彼の書籍は今も読まれ、後世の思想家たちに尊敬をされているのだ。
そんな、江藤の私的な気持ちが最も自然に溢れていたのが、彼の文芸評論であったと私は思うし、大塚氏も主に後期の文芸評論を引用しながら、彼の心のうちに迫る評論を展開していっている。
文学という文化を信じた(本当はサブカルチャーにも優しい眼差しを持つ)一人の思想家の内面に最も迫った、一冊として強くお勧めしたい作品である。
ジョルノ・ジャズ・卓也
友人でありライターの草野虹氏と「虹卓放談」というPodcastをやっています。よろしければこちらも視聴していただければ幸いです