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トイレの中で神に祈りを捧げる時間ほど必死なことはない

※2022年5月13日の移植記事です。

私の父方の実家は親族一同新興宗教の会員。毎朝毎晩6時になると蝋燭に火を点して、生き神様とやらにお祈りをする。そんな親族に囲まれて育ったにも関わらず、私は神様が嫌いだ。我ながら「ひねくれもの」だと思う。



なんでも「神様のお陰」という祖母が大嫌い

父方の祖母とはとことん相性が悪い。私に対する祖母の言動の何一つ受け入れることができない。「ばぁばが神様にお祈りしたお陰でういちゃんは幸せに暮らせているんだよ」「じじは病気だったけど、神様のお陰で少しでも長生きできた」というようになんでもかんでも神様のお陰という。

私はそう言われる度に「私がこうして生活できているのも、私が努力したお陰」「じじが少しでも長く生きられたのは現代の医療の発展のお陰だし、そもそも神様のお陰っていうなら病気にすらならないと思う」と真っ向から否定して生きてきた。 

幼少期からずっと呪文のように言われてきたけれど、ずっと何かがおかしいと思っていて、結局大人になる頃には祖母嫌いと比例して神様を信じなくなった。


宗教は怖い

別に新興宗教が悪いとは思っていない。何かに縋りたいと願うほど、不幸を感じる瞬間が人生にはあると思う。その時に何を信じ、何を得るのかは人それぞれだから、それ自体を否定するつもりは毛頭ない。

ただ、それを押し付けてくるのは話が変わってくる。私は神様を信じる気が一切ない。日本古来の考え方として「八百万の神」がある。森羅万象に神の発現を認めることだ。そういう考え方はいいと思う。あとはローマ神話だとかギリシャ神話だとか、それぞれに神がいて、それぞれの考え方があって、戦争があって・・・神様といえど、なんて人間らしいんだろうなと思える。

けれど、一人だけの神様を信じるということはしない。私だって初詣に行くし、厄年だったら厄落としに行くくらいの習慣はある。全くもって神様はいないとは思っていない。

ただ、「信じる者は救われる」と言わんばかりに、信者にさせようとしてくるのが嫌なんだ。私は私が信じたいものだけ信じる。だから、あなたはあなたが信じたいものを信じればいい。


私にだって神様に縋る瞬間がある

そんな私にも心の底から祈りを捧げる瞬間がある。

急な腹痛と戦っているとき

私は神様にお祈りをする。それは電車の中かもしれないし、トイレの中かもしれない。私はそこまでお腹の弱い方ではないので、電車の中ではそれほど祈ったことはないかもしれない。圧倒的にトイレに座り込んで脂汗を流し、前かがみになって、両手を合わせているときが一番祈りを捧げている。

まず最初の波の時は「これからお祈りタイムになるかもしれないな・・・」という予想から入る。この時はまだ神様の存在なんか信じちゃいない。だって腹痛は体の不調からきているものだから。
例えば便秘が続いたときだったり、冷たいものを食べすぎたときや、もしかしたら昨日のお肉が生焼けだったかな~?くらいの理由を考える余裕がある。

ただ、そんな余裕も第二波、第三波と来る頃にはなくなっている。荒ぶる腸に「鎮まり給え・・・」と願い、「ごめんなさい、ごめんなさい・・・」と虚空に向かって許しを請う。その時にひたすら神様に祈りを捧げる時間になる。


神様に縋ったって出すもん出さなきゃ痛いのは治まらない

そんなことは百も承知なのに、なぜ人は腹痛の時に祈りを捧げてしまうのか・・・。数年前に「トイレの神様」という楽曲が流行った。あまりちゃんと聴いたことはないのだけれど、

トイレにはそれはそれはキレイな女神様がいるんやで

トイレの神様/植村花菜

このワンフレーズが耳に残って以来、トイレでお祈りする時はキレイな女神様を想像してしまうようになった。
祈って縋ったところで腹痛がその場ですぐに治まるわけではない。でもなぜか祈ってしまう。
「助けてください、神様。これからはいい子になりますから・・・」
我ながら上っ面なことしか言ってないな、なんて思う。こんな祈りじゃ神に届くわけないのに。(問題はそこじゃない)

そもそもお腹が痛いときにだけ祈りを捧げるなんて、都合がよすぎるんだよね。神様に祈るよりも前に常日頃から腸内環境に気を配っていればいいんだよ。


腸内環境を整えたい

元々幼少期から便秘がちで、5歳くらいのときにあまりにも便秘で入院をしたことがある。その時の医者からの診断は「生まれつき腸の蠕動運動が悪い」とのことだった。

善玉菌やら悪玉菌やらそれ以前の問題である。生まれつき腸が怠慢なのだ。なんだ、体の中身でさえ私じゃないか、とさえ思う。
毎日ヨーグルトを食べてみたり、便秘に効くという漢方を飲んでみたり、運動してみたり・・・と便秘に良いとされていることは大体すべて行ってきた。でもね、出ないときは何しても出ない!便意が来た時には一応便座に座ってみるんだけどね、うさぎのうんちみたいなコロコロっとしたものしかでない。

齢32歳。人間32年も経験しているくせにいまだに毎日うんちを出すことを課題としている。そろそろ成長してくれよ。お願いだから。


あれ、今日は神様の話をしていたのに結局うんちの話をしてしまった。
いつも結局最後はうんちの話になってしまう。(そんなことはない)

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ちぬ
最後まで読んでくれてありがとう♡