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四十にして老眼を知る
私には最近困っていることがある。
それは、ろ…
エイジング・アイ!
子どもの頃の視力検査は早押し大会だった。
一番下の小さい円の欠けもハッキリくっきり見えるので、
ちょっと食い気味に「下!」とか答えて楽しんでいた。
結果、視力は両目ともに2.5。
学年トップの絶対王者だった。
それだけ頭が良ければ…と
親に何度ボヤかれたことだろう。
成績優秀な同級生がメガネで参考書を読む間、
私は、裸眼でぼーっと遠くの景色を眺めていた。
視力は常に鍛えられていたのだ。
サバンナで暮らせるとも言われたが、
その能力が生かされることはなかった。
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そんな私もここ数年、
めっきりモノが見えなくなった。
仕事中は、パソコンの画面と睨めっこをしている時間が長いので、肩もこるし頭も痛い。
視力検査は、謎解き大会に。
一番下の円など全く見えないもんだから、
悩んで迷って考えて、
でも、「見えない」と言いたくないから探りを入れる。
右…ですか?
聞いてどうする・・・。
結果ついに左目が1.0を切った。
右目は何とか1.4をキープしたけど…
おい、左。早いよ。
元々視力が低い友人に言わせれば、
十分見えてる、贅沢だと。
だがしかし、見えていたゆえに、見えなくなる不安は大きいのだ。
先日、テレビの番組で「アイフレイル」を取り上げていた。
目の不調にオロオロする私は、目ん玉かっぽじいて凝視した。
目も心もドライになった。
「老眼」(言っちゃった)は40代から急速に進行すると。
マ
ジ
か
毎日更新していたnoteは、少し前から2日に1回程度になった。
私は基本noteの記事を、自宅のデスクトップパソコンで作成する。
スマホの小さい画面では無理なのだ。
仕事から帰って、1時間程度で書き上げる。
ところが、夕方には朝以上に目が見えない。
読むのは可能だが、
集中する分
毎日書くのは、眼的に辛くなったのだ。
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実家で母が「このメガネかけてみ」と自分の老眼鏡を差し出してきた。
試しにかけてみたら
新聞の字が良く見える…見える。
そんな私の姿を見た母は、
わが子の成長を喜ぶように、ニタニタと笑ってた。
いやいや、退化やん。
それから2年。
今年初めて、メガネを作った。
左右の視力差が大きくなったことと、
年齢もウニャウニャウニャ
メガネ屋さんが、言葉を選びながら説明する。
心配ご無用。
覚悟はもう、できている。
最初はメガネを使い慣れないので、
世界が歪んで見えていたが、
やがて補正された。
人間の適応能力には恐れ入る。
仕事中の見えずらさや目の疲れは、
劇的に改善した。
もう手放せないアイテムだ。
職場では行き交う人たちに
「あれ?メガネしてたっけ?」と声をかけられる。
何だか恥ずかしいから、
「賢く見えるでしょ?バカの補正で」と
ボケてやり過ごしている。
認めてたまるか「老眼鏡」。
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そもそも、老眼鏡と言う名称に
デリカシーがない。
「シニアグラス」とか、
何を誤魔化したおつもりか。
人生100年時代の40代に「老」眼は酷である。
今どき、60代もシニアとは言えない。
女優の吉瀬美智子さんは
「マダムアイ」と紹介されていた。
素敵な言い方だと思う。
歳を重ねて、さらに良くなるイメージ。
これからいろんな体の変化があるのだろう。
嘆いていても良くはならない。
言葉には、心を回れ右する力がある。
ネガティブな言葉の向きをクルリと変えて、
前向きに生きていこう。
そうしたら、変化も楽しくなるだろう。
こうして書いたらスッキリした。
皆さんの素晴らしい記事にも励まされる。
noteには、
気持ちの断捨離機能があるようだ。