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どうか、連れていかないでほしかった。
「ああ、もう行ってしまう」
6年前の7月、母の弟である叔父が亡くなったとき、出棺前のお葬式で そんな声が聞こえました。
声の主は伯母(母の一番上の姉)。
可愛がっていた末っ子の弟が、まさか 自分より先に旅立ってしまうなんて、夢にも思わなかったと思います。
この言葉がすごく印象に残っているのは、私も 同じ時に、同じことを考えていたから。
もう 行ってしまう
連れていかないで。どうか、連れていかないで
もう少し ここにいてほしい
寡黙で、いつも 一歩引いたところで やさしく微笑んでくれていた叔父は、
私の従姉妹でもある 3人の子どもたちのハレ姿も、孫の顔も見る前に、60代の若さで逝ってしまった。
普段、しょっちゅう顔を合わせる訳ではないけれど、夏になると お中元代わりにブドウ(デラウェア)を一箱 持ってきてくれるのが定番で、
家に帰って ブドウの箱が置いてあると、「おじちゃん 来てたの?」と、物心つく前からおじちゃん = デラウェア が定着していて。
兄たちも 私も、多くを語らず 背中で会話する 寡黙でダンディーな叔父が大好きだった。
県外に嫁いでから なおさら 会う機会は減ってしまっていたけれど、
うちの父は、あまり人の話を聞かずに 会話も全部 自分の手元に持っていきたがりな人なので 笑、
(本人は無自覚で めっちゃ人の話聞けてる人 と 思ってますけど 笑)
ただ 微笑んで、相づちだけで話を聞いてくれている叔父の振る舞いは、子ども心にも 本当に不思議な感覚で、すごく安心させてもらえたのを覚えています。
急な訃報があったときにも、いつ会ったのかも覚えていないほどだったけれど、
お葬式で「今までありがとう」とかより先に「まだ行かないでほしい」と 思ったのは自分でも意外で、この先 父にも感じない感覚な気がして。
もちろん 直接 ありがとう・と伝えたかったけれど、言っても 言わなくても叔父は何一つ変わらないし、ただ フッ と 微笑んでくれてる顔が目に浮かびます。
叔父の死から 数年経ちますが、その間 うちの母が事故に遭ったり 病気をしたり、先日も 入院することになったり、あれこれありまして。
でも 不思議と 最小限で、大したことないんですね。
この辺は 私自身も 心との向き合い方の影響もあるという自負は あるものの、
叔父が 見守ってくれてるんじゃないかな、という気がしてなりません。
もうすぐ 叔父の命日。
今年は 私がブドウ(デラウェア)を持っていこう。