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親になって感じた罪悪感を和らげてくれたもの

最近、尊敬している年上の友人からホット・シナモン・サンセットという紅茶をいただいた。

あたたかなオレンジ色のパッケージ。
ミルクで煮出すと、シナモンのやさしい香りがふわっとお部屋の中に広がる。

窓からは、ぐっと冷え込んだ冬の空気をやわらかく包むように、陽の光が降り注いでいる。

一年の終わりにこんな時間が持てていることを幸せに思う。

不安だらけだった出産前の自分がこのことを知ったら、きっとすごく安心するだろう。

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長らく望んでいた子どもを授かったことは心から嬉しかった。

けれど、どこかで母親になることが怖いと感じていたことも事実だ。

私は良い母親になれるのかな。
子どもに適切な関わりができるだろうか。
良い母親であろうとする自分と、やりたいことに思い切り取り組みたい自分の間で葛藤が生まれ、罪悪感に苦しむのではないだろうか…。

心の中からそんな声が聞こえていた。

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母親になって早一年が過ぎた。

確かに、想像していたような葛藤があったし、罪悪感が芽生えることもあった。

けれど、徐々にそれらの感情は形を変えていったように思う。

その過程の中で学んだことをここに記しておきたい。

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親が思うよりも、子どもはずっとパワフルな存在

私が初めて一時保育を利用したのは子どもが10ヶ月になった頃。
本当は4ヶ月から預かってもらうことができたのだけれど、「母親から離れたら寂しいのではないか?」と思ってなかなか踏ん切りがつかなかった。

いざドキドキしながら預けてみると、子どもはケロっと保育士さんに抱っこされて保育ルームへ。

迎えにいった時も、保育士さんから「少し泣くことはありましたけど、とっても楽しんで遊んでいましたよ」と言われて、拍子抜けをした。

私が勝手に心配していただけで(そして私自身が預けることを寂しく思っていただけで)、子どもは全然平気だったのだ。むしろその時間が楽しかったようでニコニコして帰ってきた。

しばし別々の時間を過ごした後、私自身もリフレッシュして余裕のある状態で子どもと接することができた。

心配だから…と新しいことを避けるよりも、まずやってみて子どもの反応を観察したら良いのだと学んだ体験だった。

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一人の時間を求めるのは自然なこと

育休前半は、慣れない子育てに必死で、「子どもと一緒の時間=ケアする時間、一人の時間=学び、楽しむ時間」という風に捉えていた。

そして、どこかで一人の時間を持つことに罪悪感を覚えていた。
「せっかく可愛い子どもに恵まれたのに、一人になりたいだなんて贅沢なのではないか?」と。

そんな中、小笠原和葉さんのオンライン配信「子育てのためのポリヴェーガル」で、「一人の時間を求めるのは哺乳類として自然なこと。ひとりで、自分のタイミングと、自分のペースで何かを完了させられる時間を身体は求めている」というお話をお伺いし、また、他の参加者の方も子育ての中でそういった時間を求めているのを知ることができた。

自分だけではなかったのだ、これは自然なことなのだ、とホッとしたことを覚えている。

友人との会話や、本を読む中で親になった人たちの揺らぎに触れたことも、気持ちを和らげてくれたように思う。

自分の内側だけで解決しようとせず、身体の仕組みや他の人がどう感じているかを知ることが、モヤモヤをほどいていくきっかけになることもあるのだという学びになった。

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子どもと一緒に学んで楽しむこともできる

「子どもと一緒の時間=ケアする時間、一人の時間=学び、楽しむ時間」という風に分けて捉えていたけれど、次第にもっと新しい時間が生まれてきていることに気づいた。

例えば、「子どもが楽しんでくれたら良いな」と考えて訪れた木のおもちゃのお部屋での時間。

子どもは初めてのおもちゃに夢中になって遊んでくれた。
そして、それ以上に私自身がお部屋のオーナーの方との会話や、木のおもちゃで遊ぶことを楽しんでいた。

そのお部屋では定期的にお母さん向けのワークショップが開催されていて、母親は新しい体験を楽しみながら、同じ空間で保育士さんに子どもをケアしてもらうことができる仕組みになっている。

何度か参加させていただき、親も子も同じ空間でそれぞれ楽しむことができる仕組みがとてもありがたかったし、ご縁をいただき私自身も「お母さんのための詩の時間」を担当させていただくことになった。

他にも、私自身がどうしても参加したく、家族を巻き込んで訪れた山梨でのアート合宿で、子どもがそこで出会った方々に可愛がっていただき、その空間をのびのびと楽しんでくれたこともあった。

子どものための時間・私のための時間、と分けて考えなくても、一緒に学んで楽しむことができると体感できたことが本当に大きな転換点となった。

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強くてやさしい自分と対話する


子どもと共に暮らしていく中で、様々な情報に触れる機会も多くなった。

つい、「〇〇しないと、子どもの可能性を狭めてしまうのではないか?」と不安に感じてしまうこともある。

けれど、子育てをする中で、そして生きていく中で、「何が善いか悪いか」はやっぱり自分で体験する中で感じ、考えていきながら選択していくことが大切なのではないかな…と思う。

感じ、考えるプロセスの中で、コーチングセッションを受けることや、これまで学んだフォーカシングやコンパッションの知識、そして今年特に関心を持って学んでいたサイコシンセシスの知識を実践していくことに助けられた。

自分の中に確かにいる、強くてやさしくて、大切なことを知っている自分と対話し、そこから得たヒントを日常に活かしていくことが、日々の一歩一歩を支えてくれたように思う。

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これからも揺らぐことはたくさんあるだろうけれど、立ち返ることのできる学びを得られた一年だった。

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このnoteは、Advent Calender冬_2023 に寄せて綴らせていただきました。

今回、「善と悪」というテーマをいただきました。
テーマを贈ってくださった方、考えるきっかけをいただきありがとうございます。

まーさん、りみさん、いつも素敵な機会を作っていただき感謝です。

他のみなさんの投稿は次のマガジンからぜひご覧ください。

夏のアドベントカレンダーではこちらの文章を投稿させていただきました。

また、文中で出てきたコンパッションに関する学びはこちらに綴っています。

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