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移住者は接ぎ木のような存在

僕の活動拠点である寄居町は、ミカンの産地として知られています。
その歴史は古く、戦国時代まで遡ることができます。

北条氏邦(1548 - 1597)が故郷の小田原から寄居にある鉢形城に移ってくる際に、故郷からミカンの苗を持参した。それを寄居の風布(ふうっぷ)に植えたのが始まりと言われています。

持ち込まれたミカンは無事にそこで根付きました。今では初代の木は失われているそうですが、そのDNAは今もこの地で受け継がれ、栽培されています。「福来」と書いて「ふくれ」と読む品種です。

今回は、移住支援者としての目線よりも、一人の移住者としての目線で綴ったものになります。最後までお楽しみいただけたら嬉しいです。

接ぎ木で拓かれた可能性

福来ミカン

福来ミカンは、寄居の地元民に愛されているのですが、一般的な感覚としては、美味しいと言われる品種ではありません。小ぶりな上に酸味が強いのです。地元の方にとっては、「この味こそがミカン」と愛されていますが。

一般的には、近年は甘味の強い温州が人気なのは、多くの方がご存知の通りでしょう。僕も移住者なので、温州の甘みのほうにこそ、ミカンを感じます。

もちろん、福来ミカンにも温州みかんには無い良さがあります。香りが良いのです。七味の陳皮にしたりなど、加工品に向いているということになります。

今、風布のミカン園を訪ねると、そこで育っているのは大半が温州ミカン。

温州ミカンといえば、何と言っても愛媛を思い起こします。寄居の温州ミカンも、実は愛媛から移植された苗たちなのだそうです。

この裏でも、実は福来が活躍していたたのです。

どういうことでしょうか?

ご存知の通り、愛媛は温暖な気候です。対して、ここ寄居町は埼玉県北部。関東とはいえ、近年の温暖化が進行するまではミカン栽培の北限地でした。愛媛から比べれば、さすがに寒いのです。

風布のミカン園でも、人気の温州を取り入れようとなったとき。愛媛から持ってきたのですが、温州ミカンには寒すぎてしまったのでしょう。苗を、そのまま植えても、なかなか育たなかったのだそうです。

困り果てたミカン園は、どうしたのか?

すでに根付いている福来に接ぎ木したのです。

すると、温州ミカンの枝は見事に成長し始めました。福来の根が吸い上げた養分を糧にして。当然、実るのは温州ミカン。あの甘みのあるミカンを実らせてくれたのです。

こんなエピソードに触れたことで、僕らのような移住者は、正に「接ぎ木されたような存在なのだ」と考えるようになりました

移住者との境界線が薄れていく未来

地域には、文字通り、何代にも亘って根付いて暮らしてきた人たちがいます。僕の活動拠点となっている寄居町の場合、戦国時代末期や江戸時代初期からの方々や、古くは鎌倉時代の初期まで遡れる方々もおられるようです。

その人々が数百年に亘って守ってきた土地。そのようにして守られてきた地域を、僕ら移住者は活用させてもらうことで、この地で暮らすことができています。

実際、寄居町に移住して1年ちょっとになりますが、地域の方々の支えの有り難さを痛感します。

余談ですが、もし、地域の方との繋がりに支えられるということに違和感があるなら、移住ではなく、別のことを考えたほうが良いかもしれません。都会のほうが、そういったニーズは満たしやすいです。それよりも、働き方を変えるとか、新しいことを学ぶとか。
コーチングという、人の意識を扱ってきた立場から言わせていただけば、“こころの移住”もオススメします。内省やメタ認知といったプロセスで、自分を(良い意味で)客観視するようなことに取り組むことです。時には、支援を行っている人を訪ねたりするのも良いことです。自力ではどうしても“手が届かない”ところがありますから。

最近は、空き家に残された家主の仏壇などを、移住者が(日常的な)管理をするというケースも出てきていいます。
寄居町ではないのですが、僕が実際に目の当たりにしたケースでは、移住者は嬉しそうに日々の仏壇の管理をしていました。正に、接ぎ木してもらったかのように、地域と繋がるような感覚が得られたのだろうと想像しています。

そして、時間の経過と共に、接木の境い目は見えなくなっていき、1本の木として一体化していくのでしょう。

移住者も、そんなふうに、地域の歴史を踏まえつつ、新たな時代に合わせて変化していくきかっけとなる。そして、いつしか、代々から住んでいる方々と移住者との境界線が薄れていくのが理想的なのではか。そんなことを思い描いています。

今でも、数こそ少なくなっていますが、福来ミカンは大切に育てられ、受け継がれています。

そのように、その土地を長い年月、見守ってきた記憶も大切に受け継ぎながら、これからの時代に合わせたコミュニティが形成できればと考えています。

まとめ

移住者は接ぎ木のような存在だ、ということについてでした。

長い年月に亘って地域に住んでいた人たちの支えがあってこそ、その地で移住者に根付くことができる、ということですね。

移住をするというのは、裏を返せば「生まれ育った土地に根付くことができなかった」という、一種の浮草感があるのです。僕の場合に限られるかもしれませんが。

だから、例え接ぎ木という形であっても、その土地に根付くことができるというのは、感慨深いものがあるのです。

そんな背景もあって、僕は一人ひとりが、自分に相応しい居場所に辿り着けるきっかけになれれば。そんな想いで活動しています。最終的に寄居町への移住にならなくても構いませんので、ぜひ、一度、寄居までお越しいただき、ご自身の居場所探しのヒントを見つけていただけたら嬉しいです。