そこに愛はあるんか?
年末の同窓会での気付き2
私が同窓会に行った目的は3年間まるっとお世話になった担任の先生に聞きたいことがあったからだ。
何故高校教員を選んだのか?
今までも、今も教師として勤務を続けられる理由は何なのか?
彼は片道1時間峠を越えての出勤だった。雪が降り積もる日には峠を越えるのに6時間かかったことがあるくらいだ。
答えはシンプルだった。
「子どもたちの成長が楽しみだったから」
キッカケはそれぞれ違えど、
教育に携わる人の多くに共通するのは
「成長を見届けられること」
改めてそう思えた。
優しすぎるくらい優しい担任だった。
でも適当じゃなかった。
そこには辛抱強く、生徒たちが自ら気付き、成長するのを待っていたのだ。
何もしなかったのではない。見守っていたのだ。
確かにそこに「愛」があったのだ。
あの時は、ガミガミ言わない放任主義の適当な先生だと思っていた。
でも今ならわかる。ガミガミ言わない方が難しい。
こうしたらいいのに、ああしたらいいのに。ついつい大人は先回りしたくなる。だって、その先を経験してるから
でもそれも親心。いや教師心か。笑
だが本当の自立は、
「見守る先」に見えてくるものだ。
辛抱強く見守り、彼らの行動の裏の心情に想いを馳せ、本当に必要なタイミングにのみ道を示す。
改めて、先が見える結末だろうと、
「やってみな?」と経験させてあげられる母でいよう。と心に誓った。
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