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地方の可能性を知ろう! Part 2

鳥取県大山町で地域おこし研究員としてご活躍の松浦生さんをゲストにお迎えしての2月のカラフルデモクラシー。後半では参加者と双方向のやり取りをしながら、考えを深めた。

松浦さん みんなの中でいま一番気になっている事とか、自分自身の生き方と、田舎とかローカルを照らし合わせてみてください。そもそもこれからもまったく重ならないよっていう人もいるかもしれないけど、もし重なるとしたらどんなことで重なるのかとか、重なりうるけれど、そこにはこんなハードルがある、みたいなことをみんなで考えてもらえたらなと思います。

うちょこ 裏返すと都会のメリットってことになると思うんだけど、充実したインフラや、スーパーとかを使うのが普通の環境で普段生活していると、それを捨てて田舎に行こうっていう気持ちが出てくるのにちょっと時間がかかるんじゃないかなって思います。それから、すでにあるコミュニティーに入っていけるのかなっていう不安があるかな。でも、松浦さんの活動みたいに、若者が地域の中に入れるようなきっかけを作ってくれるような場所があれば、そこからトライしていくっていうのはすごい面白そうだなって思いました!

けんけん 田舎の人はよそ者に厳しいみたいな話も聞いたことがあるので、コミュニティーの中に入っていくのが難しいのかなって思ったりします。それが田舎に移住するときの壁の1つになっているのかな。あと、田舎っていうと自然環境が結構厳しかったりするじゃないですか。楽には生活できないと思うので、ある程度覚悟が必要ですよね。

たんたん 私は虫が苦手だから、田舎に対しては「虫が大きそうだな、いっぱいいそうだな」っていう印象があって、それが怖いです。でも、漠然と田舎いきたいなーっていう憧れはあります。実際今までいった事のある田舎では、みんなとても喜んで迎えてくれた。でも、そんなマジな田舎いったことないから、あまりリアルなイメージがわかないかな。

ともとも 僕が都会に住んでいるからっていうのもあるかもしれないけど、田舎っていうと不便なイメージがある。その不便さを分かったうえでそこに行きたいと思える理由としては、自然環境とかがあるんじゃないかと思う。でも、僕の知っている田舎って、東京と比べれば自然も多いけど、川はやっぱり固められていたり、山にも植林された杉がいっぱいあったりするんだよね。そういう田舎にわざわざ行こうって思えるのかな。

 松浦さんは確かにコミュニティーへの入りにくさの存在は否めないという。実際に村八分のような経験をした人がいる事や、移住したが結局なじめずにもとに戻ってしまったという人がいるのも事実だ。でも、今、都市と地方の人の行き来が活発になりつつある。移住する側、受け入れる側双方に、段々とお互いになじむためにはどのような関係を築いたらいいのか、という経験が積み重なってきているのではないか、と松浦さんは教えてくれた。昔から言われている地域社会の壁は、薄れつつあるのかもしれない。

松浦さん 僕がやっている宿みたいに、入り口のような機能を持っている場所を作っている人たちも出てきている。田舎に対してなんとなくいいなと思っているけど、一歩を踏み出せていない人って沢山いて、僕も東京に帰るとそういう人に会うことが多い。こういう入り口となっている機能の場所、中間のコミュニティーにまずは飛び込んでみるっていうのはすごくいいのかなって思います。これはあくまでもいろんな選択肢がありますよっていう話であって、1回入ってみてちょっと違うなって思ったらまた離れればいいと思います。自然環境が厳しいとか、虫が苦手っていうのは結構きついところかもね。僕も鳥取に来てマジでビビったのが、秋と春先のカメムシ。量がえぐいんですよ。それも茶色いでっかいカメムシなんだよ。洗濯物についているときにはうわーって思う。それから、鳥取って西のほうだからそういうイメージがあんまりないかもしれないけど、結構雪が降るんだよ。降られるときつい。あと風がやたら強いんだよね。慣れればいいんだけど、最初の頃、風の音で目が覚めちゃうっていう事もあったね。でも、ま、慣れだと思うし、適度にハプニングがあって楽しいよ。 

 また、松浦さんはともすると厄介に思いがちの地域社会のしがらみを楽しむことさえできてしまえば、その強いつながりが危機の時に役立つのではないか、という。実際東北では、3.11の時、普段から近所の人と顔のつながりやモノのやり取りがあったことで、助け合いが生まれたそうだ。東京でもし大型の地震がおきたらどうなるだろうか。普段からご近所とのつながりが地方に比べて希薄な東京で、助け合いが生まれるだろうか。松浦さんは、国や行政に頼りっきりの弱い存在になってしまうのではないか、と危惧する。
次に松浦さんは参加者に、「みんなにとっての幸せとは?」というテーマを投げかけた。すごく大きなテーマ。どのように地方つながるのだろうか?

うちょこ 自分にとっての幸せは、自分が持っている夢が叶って、それが持続的に続いていくことかな。それで笑顔が絶えずに続いたら・・・。その夢は、お金が大量に持っていることを前提に成り立つようなことなので、とりあえずお金を稼がないとな。

松浦さん どんな夢なんですか?

うちょこ なんか、ちょー恥ずかしんですけど、沢山お金がいるような活動をしたいのにお金がなくてできない人を支援したりとか、そのプロジェクトに協力してあげたりとか、お金を理由に断念されるようなことを減らしたいっていう夢です。

松浦さん なるほどね。めっちゃいいね。素敵だね。それは自分で稼いで還元したいと思うの?

うちょこ そうですね。

松浦さん その稼ぎ方のイメージはあるの?

うちょこ 働いて、そのお金を投資に回したりっていうのがいいかなって思っています。自分で汗水たらして節約してためたお金って、気軽に「はい」ってあげられるようなものじゃないと思うんですけど、株とかでもうけたお金なら気軽に渡せるかなって。投資でもうけたお金を使えたらなって思っています。

松浦さん なるほどね。面白いね。そういう投資家が増えてくれたら、めっちゃいいよね。

けんけん まだ自分にとっての幸せについて考えたことがなくて、少し難しかったです。でも、自分の好きなことを追求していけたら幸せなのかな。

松浦さん うんうん。それは確かにすごく大事なことだよね。ちなみに何を追求したいんですか?

けんけん 今は虫とかが好きなので、それを追求していけたら幸せかなって思います。

松浦さん なるほどね。ありがとう。

たんたん 自分、よくばりだからあれもほしい、これもほしいって思っちゃう。けんけんが言ったみたいに、自分の好きなことを深めたいっていうのもあるし、いろんな人とのつながりを作りたいっていうのもあります。沢山の人とつながりを作って、色んな所をいったり来たりして、いろんな人とやり取りしてみたいなって。

松浦さん いいですね。人とのつながりって結構だいじだよね。

ともとも 自分のこれからやりたいことをやっていくっていうのも幸せにつながるのかなって思うけど、その中で家族を持つっていうのも一つの幸せの形なのかなって思う。

 松浦さんは今、落合陽一が唱えている「ライフ・アズ・ワーク」という概念が重要なのではないかと考えているそうだ。仕事と生活のバランスをよくしよう、という「ライフ・ワーク・バランス」という概念は、この10年ほど盛んに提唱されてきた。しかしこの「ライフ・アズ・ワーク」は、生き方自体を仕事にしていこう、という考え方だそうだ。好きなことや生活と、仕事をまるっきり切り離された存在と考えるのではなく、繋がるものとして考える、そんな新しい生き方だ。松浦さんは、地方には「幸せの在り方」を実現している人が相対的に多いのではないかと言う。

松浦さん 象徴的な話としてなんだけど、東京に帰って、疲れた目をして電車に揺られるサラリーマンが多いなって感じる。それをみて沈んだ気持ちになった後に、鳥取に帰ると90代のおばあちゃんがにこやかに畑を耕してたりしてるんだよね。働き盛りのサラリーマンより、90歳のおばあちゃんの方が絶対元気じゃんって思ってしまう。そういう人が地方にはいるんだよね。

 最後に松浦さんは三つの投げかけをしてくださった。第一に、「東京か、田舎か」という時代は終わったのではないか、という事だ。確かに東京でしか出会えない人や、東京でしか得られない情報、東京にしかない仕事はある。松浦さんも実家が東京にあって時々尋ね、適度につまみ食いができるのはありがたい、と感じているそうだ。今、二地域居住や多地域居住などといった生き方をしている人が徐々に増えつつある。そういう生き方はどんどんやりやすくなっているのではないかと、松浦さんは言う。 

松浦さん みんなも、「東京か田舎か」みたいな二極の選択肢として捉えなくていいんじゃないかな。別に、良いとこどりでもいい。良いとこどりした分、そこに対して自分がお返しをすればいいと思うんだよ。単純に良いとこどりだけをするのは良くないかもしれないけれど、上手く自分にとって都合がいい距離感で、東京とも田舎とも付き合うっていう生き方は、できるんじゃないかなっていう風に思います。

 二つ目は、田舎にある仕事の可能性についてだ。確かに田舎には、人から与えられる仕事は少ない。だが、色々なことを組み合わせて、自分で仕事を作り出せる可能性は、田舎の方が大きいのではないか、と松浦さんは言う。東京では仕事は競争の中で勝ち取るものになりがちだが、田舎では相互に仕事を生み出し、助け合うという関係性が生まれるのだという。また、「田舎は不便」というイメージに関しても、今一度考えてみてはどうだろうか、と松浦さんは投げかけた。

松浦さん 田舎は不便っていうイメージって確実にあると思うし、事実そういう部分もあるかもしれない。でも、僕は鳥取に暮らしていて不便は感じてないんだよね。車がなかったら不便だし、絶対生きていけない。だけど、車があったら大丈夫。ほとんど日野(東京都日野市)で暮らしていたのと変わらない生活なんだよね。だから不便っていうイメージが先行してしまうのはもったいないなと思う。皆が思う不便が、いったい何に対しての不便なのか、っていうことを、もう1回考えてみてもいいんじゃないかなっていう風に僕は思っています。例えば、僕にとって釣りが出来る、ていうことはめっちゃ大事なことなんだよ。今自分の家から車で3分の所に海があって、釣りが出来るんだよね。それって、めっちゃ便利じゃん、って思っているの。日野から海まで行こうと思ったら、少なくとも一時間半くらいかかっちゃうから、そういう意味ではめっちゃ不便なんだよね。自分の生活の中で、何が大切で、それに対して田舎はどう不便なのかどうか、っていうのを、もう1回考えてみたら、不便っていう言葉の意味するものはちょっと変わるんじゃないかなって、思ったりします。

 3つ目。松浦さんはこれからの生き方として、自分が関わるコミュニティーをいくつか持って、それぞれと適度な距離感を持ちながら生きていく、という方法がおすすめだという。

松浦さん 人との繋がりとかコミュニティーという言葉が、みんなの口からもたくさん出てきました。それはすごい素敵だなって思います。僕自身も、鳥取にきて、人とのつながりがあると、顔が見える人がその街を担っているということを実感しています。日野だと人も多すぎるし、東京っていう規模で考えるともっとその人たちが複雑に絡み合いながら動き回っているから、町や市が、その人たちの集合体であるっていう事が具体的に見えてこない。でも田舎だと1人1人が明確な役割を持っていて、1人1人の活動の存在感が、社会の中で相対的に大きいんだよね。だから、その集合体が社会だ、っていうことが、実感としてよくわかるのは面白いポイントだなと思っています。東京も小さく分解していけば多分同じです。社会ってそうやって人の繋がりが、幾重にも重なって成り立っているものだと思います。みんなも自分が関わるコミュニティーみたいなものをいくつか持ちながら、それぞれのコミュニティーの中で、いいところどりみたいなことをしながら、都合よく、適度な距離間で付き合っていくみたいなができるんじゃないかな。もしかしたら、必然的にみんな今後そうしていくんじゃないかな、とも思っています。その選択肢の一つとして、田舎とかローカルなコミュニティーがあってもいいと僕は思う。皆も是非模索してくれたらいいな。そのことが、日本全体を面白くしていくことに繋がると思います。

 社会をより面白く、豊かにしていくための新たな生き方。皆がそれを模索しいったらどんな世界が広がるのだろうか。楽しみだ。

        松浦生さん。ありがとうございました!

                (記事作成:松浦 薫・黒野優喜)

         (記事冒頭の写真は用瀬町の街並み)

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