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政治家に話を聞いてみよう!~ 大河原雅子衆議院議員編 ~

 私たち若者が普段あまり身近に感じることのない政治家と話をしてみようじゃないか!

 Colorful democracy ではそんなミニイベントを開催しました。12月と1月の二回にわたって、与野党の衆議院議員をゲストにお迎えし、なんで議員になったの?小さいころはどんな子供だったの?といった話題から、これからの社会をどんな風にしていきたいのか、といったテーマまで多岐にわたってお話を伺いました!この記事では皆さんにその模様を、少しばかり共有させていただこうと思います。

 第一回目のゲストには最大野党立憲民主党の大河原雅子衆議院議員をお迎えしました。

大河原さんの学生時代

 普通のサラリーマンのご家庭に生まれたという大河原さん。小さなころはまさか政治家になるとは、自分も、周りの人も思っていなかったという。

大河原さん 私は昭和28年生まれの67歳です。普通のサラリーマンの娘で、周りには政治家をやっている人は誰もいなくて、誰も私が国会議員になるなんて思っていなかったんです。6年生の時の卒業文集には「外交官とか弁護士になりたい」って書いてたようです。
 サラリーマンの父と、典型的な専業主婦の母と、それから3つ年下の妹と二人姉妹。(弟さんが小さいころにお亡くなりになったとのこと・・・。)そんな典型的な核家族のなかで育ちました。

 高校生の時には生徒会長をなさっていたとか。でも成績はあまり芳しくなく、先生には「本当にやるの?やめるならいまよ」といわれたのだそうだ。それでも周りの信任をうけ、なさっていたそうだ。

 今回の集まりには高校生や中学生が沢山参加していた。ちょうどこれから将来の事なんかを考え出すころ。大河原さんにご自身の進路を決める時などに、どんな風に決めたのかを聞かせていただいた。

大河原さん 小さいころに弁護士や外交官になりたいって言ってたってただのあこがれ、特に準備をするなんて事はなかったです。小さいころから何かをやるために大学に行くって思っている人も多いと思うんだけど、私の場合はラッキーでそのことが許されたので、「とりあえず大学に行かせてくれ」って言って大学に行かせてもらいました。親の物差しで生きていた時代から、中学生高校生になって世の中がどんなふうに動いているかが見えてきて、自分の興味って変わってきますよね。大学に入るといろんな人に出会えると思うんです。だから皆さんが今一番やりたいこと、一つの事で大学のメジャーを決めても、ダブルメジャーとか今はいろんな形で選択の範囲が広がっていますよね。だからきめてまっしぐらっていうのももちろん素晴らしいけど、大学に入って、いろんなことを知ることはいいと思うんですよね。いろんな経験をすること。

 大学生の頃は、ラグビー部のマネージャーになり、部室の掃除や洗濯はやらず、OBとの連絡や試合日程の調整などに邁進していたそうだ。当時は政治や社会にあまり興味のなかった大河原さん。卒業後は舞台や映画の製作会社(なんと黒澤明監督の助監督をなさってた人の会社だったそうだ。)に就職し、お弁当の手配や稽古場の確保、俳優さんの日程調整などの仕事をしていたという。

 このように、学生時代や卒業後すぐは政治家になろうとは思っていなかった大河原さん。いったいなぜ政治家になることになったのだろうか。

大河原さん 子供が生まれて、「体大事にしてね、アレルギーとか気を付けて食べさせてね。」などと、夫のお母さんとか、私の実の母とか、周りの人からあまりにもたくさん言われるので、日本の食べ物って本当に安全なのかなという疑問を持つようになったんです。それで生活協同組合っていうのに入りました。この団体はみんなで安全な食べ物を共同で購入している団体なんです。みんなで食品を買って、「農薬減らしてください、農薬使わないで作ってください。その代わりずっと買い続けますよ」って作り手にお願いする活動をしているんです。面白いと思いませんか?今世の中で売っているものはいつ買いにくるかわからない人に向かって準備をしているので、添加物も入っているし、着色料・保存料も入っている。それって私、望んでないんだけど、作る人がいつ売れるかわからないから、長い間きれいに見えるように、国の基準にあっている範囲で入れてるんですよね。でも、あら、もう一つのやり方があるんだなって。オーダーメイドって高いけど、みんなでまとめて買って、その生産者に次の生産のお約束をすれば、私たちの注文に応じたものを作ってくれるんだと。自分が望まないなら自分たちで作れるよっていう考え方に出会ったんですね。この活動の中には環境保護運動があったり、政治についても自分たちの仲間を政治の現場に送っていきましょうよという動きもありました。国会議員はいないんだけど、市議会や区議会や都議会に自分たちの代表を送り出そう、しかも議会には女性が少ないから、女性を送り出そうっていう活動です。これが生活者ネットワークっていう活動なんですね。
 私も選挙にでないかというお話をいただいて、私は子育て真っ最中だったし、そんなところに行く余裕ありませんって言ったんだけど、子育てしてるからこそ解決したい問題があるんじゃないの、大河原さんいつも言ってたアレルギーの事とかに関しても、基準は国が法律で決めてるんだし、条例として地方自治体が決めてるものもある。あなたが子育てしていてぶつかっている問題を解決するために、4年間都議会行ってちょうだいよって。映画とかプロダクションの世界に戻るのはその後でもいいんじゃない?って言われました。なんだか断りようがなくなってしまって出馬し、皆さんの力で当選しました。だから、偶然で議員になったという感じです。

 都議会議員になった大河原さん。数多くの生活に関わる問題に取り組まれた。その後更に参議院議員として国政に関わるようになる。

大河原さん 東京都って私が議員をやってた時は人口が1200万人くらいでした。人口が多い東京で流通している食べ物について考える事って、ものすごく意味があるんですよ。東京の食べ物を安全にすることで全国にその動きを波及させることができると思っていたんです。例えば食べ物を確保するときに、有機野菜とか、安全な地場の野菜を給食に使ってほしいとか、そういったいろんなルールを決める時に東京都が決めるとそれが国に影響を与えるっていうことがあるんです。食品安全条例を東京都で作りたいとか、子供の権利条例を東京都で作りたいとか、みんなで頑張ってやってきたんです。でも東京都もね、いろんなことをこっちが提案しても、国が法律を作ってそういう方向を向いていませんっていうの。いつまでたっても「国が国が」っていうから、じゃあその国を変えないとだめだと思ったんです。そのころ民主党っていう、自民党の政権じゃない政権に変えていこうっていう世の中の空気ができて、地域で活動してきた人を国会に送りませんかっていうお話があったんです。それで、生活者ネットワークと相談して、でることにしました。

 生活の現場から、政治の中にはいって行かれた大河原さんの描く政治家像とはどんなものなのだろうか?

大河原さん 昔から「自分がこうしたい!」ていう思いが強いわけじゃなくて、周りを見ながら自分に何ができるかな、どういう事をすれば自分の仕事になるかな、という事を考えながら動いている感じでした。それは政治家になってからも同じです。政治家っていうと皆さん、自分のビジョンを立て板に水のように話す人をイメージするかもしれないけれど、本当の政治家っていうのは、人の話を聞いて、それを実現するために政府を動かす道筋をつける人だと思っています。もちろん総理大臣になるんだ!という人は自分のビジョンを沢山語っていいし、私もしゃべりなさいと言われれば自分の思いはしゃべるけれども、私の持っている政治家像は少し違うんじゃないかなと思いながらやってきています。

 さて、そんな大河原さんが思い描くこれからの社会については、後半戦で見ていくことにしよう。

                                   ( 記事作成 松浦 薫 )

 

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