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「何をしに来たのか思い出せない」という問い。

「思い出す方法」について書いたnoteではないと、前置き。

ご縁あってワークショップでお邪魔する施設では、
自宅にいても「帰りたい、帰らなければ!」と
家族をやきもきさせるお年寄りのお話をしばしば耳にします。

観光名所が近い、自宅前の道端にはよく
落としたことも、捨てたことも、ご本人は覚えていないような
なにかが落ち葉に紛れていたりします。

カラーセラピーのセッションでは、
「自分は本当は何をしたいのかわからない」
「何をしに生まれてきたのか思い出せない」
といった、思いがしばしば寄せられます。

「帰りたい」と嘆く、幼い少女のように悲しげなお年寄り。

おそらく別のことに気を取られて、
実は大切なものを落として走り去ってゆく若者。

社会人として、親として、子として。
たくさんの役割をなんとかかんとか全うしてきて、
ふと立ち止まったら、
未来は白い霧に覆われていて、
この先、何を頼りにどこに向かえばいいのか
わからなくなってしまう、中年期。

そもそも私たちは一つ一つ形が異なる
ジクソーバズルのピースのようなもので、
お手本なんて、ありっこない。

自分の中にその答えを求めるしかないのだけれど
どうにも、もどかしい。

そんな時に、
「カラーセラピーでも試してみようか」と、
人づてに私の話しを聞いて、
ここに来てくださるのだと思う。

そんなクライアントさんの気持ちが
色を選び、言葉を選ぶ静かな時間の中で
少しずつ、ほどけてゆく。

ご自身の中に答えを見出した際の表情は
クライアントさんそれぞれに異なるのですが、

「あぁ、そうだったね。」

と、ご自身に語りかけるように
つぶやく方がとても多い、ここ最近のセッション。

かくいう私も、そういえばそうだったなと、思い出す。

自分に言うって、変に聞こえるかもしれないのですが(笑)

本当に腑に落ちたときって、
「あ、だよね?そうだった、そうだった〜」
って、自分に言うこととか、ありませんか?^^

忘れてた、ごめん私!
みたいなw

あくまでかつての私の場合。

思い出せないとか、手に入らないという
せつなさを、経験したかったんだろうなぁって。
今はわかるのですが。

おそらく、その人がもとめる
人生の意味とか目的とか使命さんの方にもですよ、
それぞれにいろいろなプランやご事情があって、
隠れたり、化けたり、してたんじゃないかと思うんですよ。

ゲームのタイムオーバーだか、
テーマパークの閉園時間ぎりぎりまで、
粘っていた私たち。

閉園を告げるアナウンスが聞こえてきて、
なんだか焦ってしまう人が増えてたのかなとも
妄想してしまいます。

いま、その葛藤の只中で苦しい方には不快に聞こえそうだけれど、
「今はまだその時じゃない」というだけのようです。

足取り軽く帰っていかれる、
クライアントさんを見送っていると、
ちゃんと自分で決めてきてるのだから大丈夫。

決めてきたその時に、
自分の内から、わかります。

・・・

急に寒くなりましたね、
あたたかくしてお過ごしくださいです。

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