自殺を回避している話
初めに断っておくが、別にこれは心温まる話でも悲嘆に暮れる話でもない。
ただのポンコツな生き物が、フラリへニャリと生き残った話だ。
最初に自殺について考えたのはいつだっただろう。
私は記憶力にムラがあるため、このことにおいてはあまり自信がないのだが、確か小学校5年生の頃、当時描いていたマンガに「針で手首を刺したら死ねるかな」といったような、物騒な台詞を書いた記憶がある。ちなみに、実行はしなかったはずだ。
その時はちょうど、自分に発達障害があると伝えられてから1年が経った頃で、思春期の始まりとも重なり、「障害を持った自分」について、まあそれなりに色々考えてはいたのを覚えている。
次は中学2〜3年生頃だろう。
この時のきっかけは間違いなく不登校だ。
小学生の頃は非常にピンピンしていたのに、中学に入ってからだんだんと朝動けなくなっていった。
希死念慮との付き合いが始まり、自傷行為(いわゆる、アムカとかレグカとかいうやつだ)をしていたのも、ちょうどその頃だ。
学校に行くという当たり前のことができない自分に嫌気が差して、自分を罰する意味で傷を作っていた。
死にたくなった時にいつも出てくる「自分がいなくなった方が、家族は楽なんじゃないか」という思考は、きっとこの時に発生したものだろうなと考えている。
次は、高校時代全般とするのが正しいように思うのでそうしておく。
進学しても不登校は改善しなかった。
というか、クラスメイトと単位のシステム、この2つを見れば、状況は悪化していた。
私はいわゆるオタク側の人間なのだが、クラスにはほとんどと言っていいレベルでそちら側の人間がいないどころか、スポーツの得意な、活力に満ち溢れた人達が多数を占めており、今までオタク的な者同士固まって、ぬくぬくのほほんと友人関係に浸っていた私が突然放り込まれるにしては、この環境は厳しすぎた。
当然馴染めず、行けば疲れ果てるため、登校へのハードルはぐんと跳ね上がった。
そこで困るのが単位だ。
家族の意見を重視した結果、私は全日制の高校を選んでしまっていた。
当然、授業に出なければ単位は取れない。
最も危なかったのは1年生の時で、あと2日休めば留年というところまでいっていた。
もちろんそんな状況で追い詰められないはずがなく、この頃になって初めて首吊りを実行に移した。
高校3年の時には、遺書を書いて飛び降りる寸前までいった。
さて、ここからようやく回避の話に移るのだが、それを構成するものは主に3つだ。
・恐怖
・不器用さ
・生き甲斐
決め手となった順に並べているため、一番大きな理由は「恐怖」になる。
飛び降りを決意した時、私は「失敗したらどうしよう」「こんな失敗だらけの人生で、自殺だけ成功するなんてうまい話あるわけない」という思考が頭から離れず、結局空中に身投げすることのないまま、泣き腫らした目で帰路についた。
次の「不器用さ」は、首吊りをやろうとした時の話だ。
結論から言って、ネットで調べたハングマンズノットの作り方の図がまったく理解できず、紐もうまく結べなかったため諦めたのだ。
最後の「生き甲斐」は、比較的元気な時にのみ効力を発揮する。
ちょっと落ち込むような出来事に見舞われた時「死にたい」を「あぁでも生きなきゃな……」に変える作用がある。オタクでよかったと心底思う。
さて、バイトを2日でクビになり、別のバイトの面接に落ちただけで人生に絶望するようなポンコツで弱っちい私だが、今日もなんとか生きている。
この記事を書いてみて思うことは、また自殺したくなったら、うまいことそれを回避して、こうして何かのネタにできたらいいな、ということだ。
最後に、ここまで読んでくださったあなたに感謝を。
あなたが生きて、この文章に目を通してくださったことがとても嬉しいです。
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