見出し画像

ハロー!ワールド!

私は物事と物事をすぐ引っ付けてしまう癖があり、細かな情報がものすごく大きな塊のように感じ、急激に理解ができないことがよくある。

例えば、ものすごく情報量が多い一冊の本を、良くも悪くもパッとみて一瞬で「一つの概念」として全体を捉えてしまうくせに、一つひとつ理解することに異様な時間と説明を必要とする時がある。また逆に、一つひとつに引っかかるあまり、全体を捉えられなくなってしまうこともよくある。

そのような理由で、国語も算数も苦手だった。算数は割り算でつまづいた。割り算の概念をまず理解しないことには先に進めないのだ。数式とかでは理解が進まないのだ。国語も同じ。まず小説の全体の概念を受け入れてからじゃないと、センテンスを受け取れないのだ。なのになぜか、古文と漢文は、全く勉強なしで模試は常に高成績だった。全くチンプンカンプンの文体を直感で捉えたらそれが正解だったのだ。

その癖をどうやって他人に説明するために言語化したら良いのか分からず、グラフィックという手法を手に入れた私は、20代前半でそれをグラフィックで説明しようとして、頭が狂いそうになった。曼荼羅を描き始めたり、興味を持ったのは、その頃でした。

そんなふうに苦労して生きていると、たまに「物事と物事をくっつける」のが天才的に早い人だと感じる人がいる。そのような人との会話はな何か私の中の懐かしい記憶を呼び覚ます。全てに合点がいくのだ。閃きを大事にするので会話も楽しい。

と、前置きした上で、本題に入る。

私の暮らしている街の偉人「南方熊楠」は、無意識下(夢)であの世(便宜上あの世と表現する)とこの世を行ったり来たりしながら那智の原生林で珍種のキノコを発見したという。夢のお告げに従って行動したら、その通りになったという。

数年前、私は癌の手術を終えてまだ麻酔の頭痛でフラフラした状態で、「熊楠と華厳経」をテーマにした中沢新一先生の基調講演を聞きに行った。私はその話を聞いたときに、自分の頭皮の毛穴が開いて、何かすごいことを理解してしまった気がして、恍惚とした。ハロー・ワールド!って気分になったのだ。苦笑 雷に打たれる瞬間。

華厳経を手っ取り早く理解するには「フラクタル構造」を理解すればよくて、「フラクタル構造」を理解するには自然界に存在するものを見れば良いと感じた。だけどその間を埋める言語や数式を説明したり理解することが私は恐ろしく苦手だ。もしかしたら、私以外の人は全員、これを生まれながらに理解してて、私だけが理解できてないのかも、なんて思ったりする。(なぜなら、私は今も算数が理解できない)

だからこそ私はグラフィックを手に入れたし、デザイナーを続けられるんだと思う。グラフィックデザインの基本は、そのコミュニティを形成する人たちに共通した理念を指し示すため記号化すること、つまりロゴマークをデザインすることだから。そのロゴマークは、コミュニティのその後を方向付ける。それを目印にするのだ。

私が一目見てキース・ヘリングの作品のファンになったのは、彼が記号化した概念を無意識下で伝播させることに長けているからだと思う。彼の一つひとつのグラフィックの集合体を見た時、一つの概念を見ることができる。

世の中には、そういうもので溢れている。あらゆるアートやグラフィックや印刷、映画、小説、全部そうだ。

午後に見たギアルモ・デル・トロ監督の「ロストアイズ」のメッセージも、「もう見たいものは全て見た。なぜならば君の瞳の中に宇宙が見える」ということだった。

冒頭の理由により、すごく乱暴に結論を言うことになるが、手にいれようと必死になればなるほど見えなくなる、見ようとすればするほど見えなくなる。幸せを得ようとすればするほど得られなくなる。すでに手の中にあると思うとある。

そういう世の中の構造を知った時に、初めて人は安らかになるんだなぁと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?