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すすり泣き以上、号泣未満

双子の娘たち(7歳)は『窓ぎわのトットちゃん』が大好きだ。ふりがなが少ないので、まだわたしが読み聞かせている。

「今日はトットちゃんの続きを読んで!」

夜、寝かしつけのときに読む本は何冊かをローテーションしていて、『窓ぎわのトットちゃん』はもう5巡目くらいに入っている。トットちゃんと呼ばれた幼い日の黒柳徹子さんの学校生活は、何度読んでも楽しそうで、ときにせつなくて、悲しい。

太平洋戦争中の実話だから、物語が進むにつれて戦争が落とす影も濃くなる。最後の章にはとても悲しく、苦しい出来事が待ち受けている。

わたしは、そこまで読み進むとかならず泣いてしまう。涙ぐむだけではすまない。ぐすんぐすんと鼻をすすりながら、ページに涙を落として泣いてしまう。

トットちゃんのあの輝く日々が戦争で失われてしまうことがどうしてもやり切れなくて、毎回泣く。

年齢的にまだ戦争について理解できていない娘たちが、わたしの涙を見てはらはらしているのが伝わってくる。「ママ泣いてる」。いつもそう言って二人で顔を見合わせている。

わたしも戦争は知らない。わたしの両親だって、戦後の生まれだ。

しかし、父方、母方ともにわたしの祖父は戦争に行った。

なのに、祖父たちが戦争について語ったことは一度もない。とくに母方の祖父は激戦があったことで有名な地域に赴いたと聞くけれど、本人がなにも語らなかったため、誰も詳しいことを知らない。朗らかで優しい、おしゃべり好きな人だったのに、なにも。

戦争を語り継ぐ人もいれば、口を閉ざす人もいる。それぞれの戦争があったに違いない。なにも語らなかった祖父たちのことを思い出すたび、胸がきゅうっと締めつけられる。

そんなことや、子どもの頃に見た反戦作品を重ねながら読んでしまうから、わたしは毎回泣いてしまうのだと思う。

声をあげて泣き叫ぶほどには戦争を知らない。でも、戦争の影をうっすらと遠くに感じながら生きてはきた。

我が家の娘たちが、すすり泣きよりほんの少し多めに涙していたわたしの姿を覚えていてくれるといい。なんとなくではあっても、そこから思うことがいろいろあると思うのだ。

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