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金のネックレスとダイナゴン
今日は久しぶりに、ボリュームのある金のチェーンネックレスをつけている。
小さなひし形のパーツとボール状パーツを交互につなぎあわせてあり、どこから見てもきらきらと輝く。ときどき「それって磁気ネックレス?」と聞かれるけれど、刻印があるので18金でできているようだ。ずっしりと重く、肩がこっているときにはつけられない。
「ようだ」というのは、このネックレスは私が買ったものではないからだ。20年以上前に亡くなった大叔母の形見である。
大叔母(父方の祖父の妹)は、名古屋に嫁いだ人だった。そのため、会う機会は多くなかったけれど、なぜか私をとてもかわいがってくれた。
祖父の家で私が字を書いていると、よく褒めてくれた。
「上手に字を書きよう(書いている)ね。賢いね。ちょっとこの子、天才なんと違う?」
はっきり言って、褒めすぎだ。
また、私の顔を見ては「○○家(祖父の実家)の顔しとう(している)ね。かわいらしなるわ」と言ってくれた。祖父たちきょうだいの実家は、田舎では大きな商家だ。大叔母はそれを誇りに思っていたらしい。
幼い私の目に、大叔母はエレガントで美しい女性として映っていた。親戚うちでは「玉の輿に乗った」と言われていたそうだから、裕福な暮らしぶりが身のこなしや服装に表れていたのかもしれない。
そんな大叔母は、いろいろなお菓子を携えて故郷に帰ってくるのが常で、私もその一部をもらうことがあった。
「ちなみちゃんはダイナゴンが好きやからね、また買ってきたんよ」
カステラの中に小豆が入った「ダイナゴン」という名古屋銘菓の優しい甘さを、今も覚えている。
あれ、とっても美味しかった。小豆が好きでない私も、ぺろりと食べられたのだから。「もうひと切れ食べたい!」と言って、母に取り上げられたこともある。
「親ではない誰か」に褒められ、かわいがられる経験って、けっこう大切だったりして。大叔母を思い出すとき、いつもそう思う。
親戚とはいえ、親のひいき目が及ばないところで、自分を評価してくれる人がいる。それを知ることは、私の自信とやる気につながった気がする。実際、私は書写に励んだり、よりたくさんの本を読むようになったりした。
亡くなる数年前、大叔母が「あなたにこれあげるわ」とくれたネックレス。18金の装飾品なんて、中学生の女の子には早すぎる。
大叔母の意図は今もわからないけれど、ネックレスはジュエリーボックスの特等席を陣取っている。
ダイナゴンは大阪では手に入らない(と、思う)。ああ、食べたいな。大叔母に褒められる嬉しさを、また噛みしめたい。
あんなに褒めてもらったのに大成しなかった、ごめんなさい。でも、ぼちぼち幸せにやってます。そう笑って報告したい。