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通じあう奇跡

最近、双子の娘たち(7歳)に難題をふっかけられる。

「これ、なんて言ってるでしょーかっ?!」

彼女たちは唇をかたく結んだまま、ごにょごにょごにょごにょ……と話す。どう聞いてみても、わたしの耳には「もごご、ほのののの、もごもごもごー」という、くぐもった音しか届かない。

「もしかして『今日の晩ご飯はなあに?』って聞いてる?」

わたしが当てにいくと、娘たちはぱかっと口を開け、げらげら笑う。笑いのポップコーンが弾けて口から出ていくみたいだ。

「はずれでーす! 『ママのヘアゴム、面白いかたちやなー』と言いました!」

そんなん、わかるかいな。わたしも笑顔で返しながら、夕食づくりにとりかかる。

こんな調子で、口を閉じたまま喋るその内容を当ててみろと、しょっちゅう挑まれている。ほとんど正解できないのだけれど、先日ふと気づいた。

彼女たち同士は、互いが口を閉じた状態でもなにを話しているか理解しているのだ。

「ふごご、ふごごご、もごごもごごー!」

次女がわたしに向かって叫ぶ。なにを言っているのやら、さっぱり聞きとれない。何度かのチャレンジの末、「降参でーす、わかりませーん」と返すわたしに、長女が向き直る。

「ママ、次女ちゃん『今日のご飯おいしかったー!』って言うてるわ」

次女から「正解!」の言葉が飛んでくる。彼女はそのとおりに話していたらしい。

先日から、これが繰り返されている。もちろん、次女が長女の話を正確に聞きとっている逆パターンもある。

子どもたちにだけ聞きとれる音があるのではないかと思ったけれど、お友達は聞きとれないようだ。我が家に遊びに来た娘たちのクラスメイトが「全然わからん!」と言っているのをたびたび見かけた。

もしかして、通じ合っている?

ここのところ、わたしはそんな仮説を立てている。遊びに慣れ、聞きとり方の勝手を覚えたのかもしれないけれど、それにしてもしっかり聞けすぎている。

そりゃそういうことがあってもおかしくない、と思う。娘たちは二卵性とはいえ、10カ月間、わたしのお腹のなかでともに過ごし、外の世界へ出てからもずっといっしょに生きてきた。密すぎる関係性が特別な感覚を養ったのかもしれない。ほんとうに、なにをするにもくっついているのだから。

わたしには、一つ年下の妹がいる。わたしたち姉妹は、幼い頃から「双子みたいね」と周囲の人に言われて育った。体格は妹のほうがよく、性格も頼りがいがある。どちらが姉でどちらが妹かわからないから双子みたいだと言われ続けてきた。

大人になってからも仲がよく、今もほぼ毎日連絡をとるし、お茶や買い物にも二人で出かける。母親になったのもほぼ同時期のため、ここ7年はママ友のような絆でもつながっている。

いつでも心を支えてくれる身近な存在に、わたしはずっと感謝して生きてきた。妹は、友人よりも近い場所で、親とは違った角度からわたしに寄り添ってくれた。そんな人に恵まれたことは、わたしがここまで生き延びてこられた理由の一つに違いない。

娘たちにはもしかしたらもっと濃いつながりがあるのかもしれない。

双子ならではの葛藤もあるとは思う。比べられて嫌な思いをすることもあるだろうし、ときには一人で、誰ともつながらない自分として、のびのび過ごしてみたくなることもあるだろう。

でも、もごもご喋ったって聞きとってくれる存在がいるという頼もしさに感謝することだってあるはずだ。

わたしがつらいとき、「わかるよ」とだけ言ってくれた妹には、尊い後光が差しているみたいに見えた。同じように、物言わずとも伝わる存在がいるという、奇跡に似た事実を噛みしめる日がきっと来る。血のつながりよりも重いものは、ともに寄り添いあった日々の濃さだ。

「双子なんだから」とあれやこれや押しつけたくはない。けれど、せっかく二人まとめて生まれてきたことのお得な面はできるだけ享受してくれたらいいな、と思う次第である。


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