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神さまは、たぶんそこにはいないので
スーパーマーケットで平謝りに謝られてしまった。
一人の店員さんがいくつもの買い物カートを連結させて運んでいたところ、わたしの腰にカートが軽く当たった。ごく軽く、触れる程度に当たっただけであり、痛くもなんともない。
しかし、それを見ていた別の店員さんが、カートを押していた店員さんを叱りつけたのだ。「まず『申し訳ありません』って言わないと! なにやってんの!」。そして、わたしには丁寧すぎるほどに丁寧な謝罪の言葉をかけてくれた。
わたしはこういう場面が苦手だ。人前で誰かを叱責する人が苦手だし、萎縮しきった店員さんもお気の毒で見ていられない。接客業だからといってそんな目に遭って当然だとは思わない。
「大丈夫です、軽く触れただけなので。ほんとうに」
それだけを言うのが精一杯だった。お客とスタッフという関係であるとはいえ、お互いに一人の人間であって、それぞれに尊厳がある。必要以上にへりくだってもらわなくていいというのがわたしの考えだ。別に「あ、すいませーん」程度でもまったくかまわない。
かつて(今も?)日本には「お客さまは神さまです」というスタイルがあった。本来はお客に媚びへつらえとのニュアンスではなかったそうだ。けれど、お客には決して逆らうな、なにをされても耐え、とことん尽くせという意味で使われていることがある。昔、わたしはそういう組織にいた。けっこう苦しい時代だった。
いろいろと理不尽を耐え忍び、胃に穴を開けそうになった経験から言うと、神さまはそんなところにはいない。現在のわたしはよくお客の立場になるけれど、どこまでいっても神さまではないし、働く人のストレスや不幸のうえに成り立つ便利さなんていらない。サービスの場に神さまも信者もいない。ただ人がいるだけだ。
神さまを崇める心は、しかるべき場所で発揮するときのためにとっておいたほうがいいんじゃないかと思っている。