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若さゆえに追いかけられるものを

先日、ある大学近くのカフェに入った。
用事を終えた後にも予定があったものの、少しだけゆっくりしてから電車に乗りたかったのだ。

大学にほど近い立地なだけあって、店内には学生風の男女グループが何組か座っている。
みなさんお若くて、わたしがここにいていいのかと思ってしまったほどだ。

そのうちの何人かが、政治談義に花を咲かせているのが聞こえてきた。
政治と社会について熱く語りあっているようだ。

わたしも学生時代はわいわいがやがやと政治やら哲学やらの話で盛り上がり、ときには揉めたくちだから、微笑ましく感じた。
横目で見るというよりも、横耳で聴きながらコーヒーを飲むという感じ。
いや、耳はもともと横についているか。

若い人がこういう話をしていると、ときどき「まだ社会に出たことのない学生が偉そうなことを言うな」との反駁はんばくにあう。
この方たちはそういう経験はないかしら、とちょっとだけ心配になった。

学生時代のわたしには、何度かそういうことがあった。
大学近くの居酒屋さんで友人と話しこんでいたら、「学生の分際でなんちゃらかんちゃら」という言葉を投げかけられた。
「税金で勉強しとるくせに」と言われたときの脱力感は、今でも思い出せる。

当時のわたしたちの話はおそらく、学生ならではの幼さや至らなさを多分に含んでいて、聞くに耐えない点があったのだと思う。
若さゆえの思い上がりほど、見苦しいものもない。
不快な思いをさせてしまった周囲の方々に謝りたい気持ちと、恥ずかしさでいっぱいだ。

それでも、わたしたちは至らないなりに懸命に考えていたし、なにか真理らしきものを見いだそうとしていた。
あの未熟なひたむきさは、もう取り戻すことが叶わないんじゃないだろうか。
少なくともわたしは、取り戻せる自信がない。

だから、わたしは先日、学生さんたちをまぶしく感じた。
彼ら、彼女たちは、今しか走れない場所を走っているに違いないと思ったからだ。

そして、まだ社会に出たことがない(出たことのある人もいるが)学生だからこそ見える真実があるかもしれない。
もしかしたらその真実が社会を動かすことだってあるかもしれない。

大昔、思い返せば妙ちくりんな理屈を振りかざして恥ばかりかいた身としては、学生さんたちには大いに持論を語ってほしい。
そのときにしか見えないものを追いかけてほしい。

コーヒーを飲み終えてカフェを出る頃には、なんだかエールの塊みたいになっていた。
大きなお世話だけど、頑張って!


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