愛の第一関門を突破せよ
愛が伝えられない。
いや、娘たちにうんと伝えている。毎日「かわいい」とか「大好き」とか言っていて、彼女たちにはうんざりされているかもしれない。
そういう、身内への愛ではなくて、人さまへの愛である。
たとえば、いつもわたしに刺激をくれるあの人。言葉の端々にびびびっとウィットが詰まっていて、話すたびにわたしにもひらめきが降ってくる気がする。
あるいは、端正でうつくしい文章を紡ぐ、あの人。書かれた文字を追っていくうちに、わたしまで透徹した目の持ち主になったんじゃないかと感じるくらいだ。豊かな世界に没入させてもらえるのは、ひとつの幸せだと思う。
あるいは、あたたかで軽やかな語り口が魅力の、あの人。みんなが言っているように、わたしもその話術と心づかいの虜だ。共感を呼び起こしながらも嫌味がないなんて、どんな人生を歩んできたらそうなるのだろう。
わたしはそういう人たちに愛に近い尊敬の念を抱いているのに、その愛をうまく伝えられない。
べつに「愛しています!」なんて言うつもりではない。それはさすがに不審すぎる。誤解も招く。大人として、よしたほうがいいやつだ。
ただ「いつも刺激をいただいてほんとうに励みになっているんです」とか「うつくしい文章はわたしにとってご褒美みたいなものなんです」とか、率直に伝えたい。思いの丈を言ってみたい。
それなのに、恥ずかしさがまさってしまい、言えないままでいる。書くのであればまだなんとかなるけれど、話すとなると苦手である。
ミッションスクールに通っていた小学生の頃、シスターが言っていた。「尊敬できる人がいるというのは、なによりの宝です。尊敬は愛です。惜しみなく伝えましょう」。
当時のわたしはもちろん愛を伝えられなかった。年を重ねてずいぶん図太くはなった今も、恥ずかしさから距離を縮められない人たちがまだまだいる。
このあいだ、そのうちのお一人にお礼を伝えたら驚かれてしまった。
「そんなふうに思っていてくれたなんて知らなかった! こちらこそありがとう」
うーん、やっぱりわたしは伝え下手だ。意思表示がうまくないから、なにも届いていなかった。
自分の思いを少しだけでも開示する。愛を伝えるための関門を突破しなければならないなあ、と思っているところ。
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