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双子は踊る、されど進まず

夏休みが終わる。双子の娘たち(7歳)の学校生活はもうすぐ再開だ。彼女たちを目の端で見守りながら仕事を進め、ときどき食事やおやつを出していたわたしの暮らしももとに戻る。

宿題ができているかどうかを点検していたら、おそろしい事実が判明した。娘たちの読書感想文がやけくそな日記みたいになっている。

なつやすみに『○○○○』というほんをよみました。おもしろかったです。またよみたいです。
おわり

こんな感じに仕上がっていた。

彼女たちが読書感想文に取り組むと言い始めたとき、わたしは原稿用紙の使い方を教えた。そして、思いのままに書いてほしいという意図のもと、こうも言った。

「この本を読んでどう思ったか、素直に、感じることを書いてみー」

娘たちは目をきらきらさせて「うん!」と答え、子供部屋に引っこんだ。書きたいことがほとばしっているのだろうと思わせる、嬉々とした足どりで。

それきりしばらく、わたしはすっかり読書感想文のことを忘れていた。いや、ちょっとは覚えていたのだけれど、まあまあ書き進めてくれているに違いないと、希望的観測に寄りかかっていた。

いざ見てみたら「おもしろかったです。おわり」である。ああー、これでいいわけない気がする。

娘たちは言う。

「だってさ、本めちゃくちゃおもしろかってんけど、なんて書いたらいいか言葉が出てけーへんねんもん」

そうだ。わたしにも覚えがある。幼い頃、自分の気持ちを表現したいのに、適した言葉が湧いてこなかった。もどかしく、いらいらした。わたしは言葉に関しては早熟なほうだったのに、それでもいらだちを募らせた記憶はたくさんある。子どもにとって、心の中身を表すのは難しいのかもしれない。

でも。

ここでわたしが基本的な構成を教え、ある程度はかたちの整った読書感想文を提出させるとする。その過程が娘たちになにを教えてくれるのだろう。わたしには答えが見つからない。

「どうしようね。この本のどのシーンがおもしろかった? この本を読んでどうなりたいと思った?」

彼女たちに質問を重ねてみると、立て続けに答えが返ってくる。

「△△のところがよかった!」
「長女ちゃんももっと強くなりたいと思った!」
「主人公の●●ちゃんは次女ちゃんに似てるなあ、って思ってん」

いろいろ思うことがあったんじゃないか、と気づく。それをかたちにすればいいとわたしが教えたところで、娘たちは踊り出した。Perfumeの『チョコレイト・ディスコ』を歌いながら、ふりふりと手足を動かしてみせる。

集中力が切れたのだ。

自由に育ってくれればいいと思いながらも、この読書感想文を提出して先生を困らせるのも申し訳ない。そもそも自由って? さあ、どうする。夏休みの宿題は、親にも選択を迫るものだったのか。ああ。

なぜか今日も娘たちは『チョコレイト・ディスコ』を踊っている。どこかで見かけて気に入ったらしい。やたらポップな夏休みの追いこみ狂想曲だ。

なんとか読書感想文を進めよう。10年経ったら、こんな一日もきっといい思い出になっていると思いたい。

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