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出会いと別れだらけの人生で
夏だというのに、別れがやってきた。
大切な友人が、海の向こうへと羽ばたいてしまう。彼女の人生を考えれば応援してあげなければいけないとわかってはいても、やっぱりさびしい。
井伏鱒二も言ったじゃないか。「花に嵐のたとえもあるさ」と。さよならだけが人生らしい。あ、もとは漢詩なのだとか。
でも、今はオンラインお茶会もできるし、SNSでもメールでも、かんたんに近況報告ができる。現に彼女は「向こうに着いたらすぐインスタにアップするね!」と言っていた。
いつのまにか、さよならと私たちの距離は開きつつあるのかもしれない。「今生の別れ」なんて、きっと死語・オブ・死語。昨日別れた彼女と、今日iPhoneごしに会う、そんな世界に生きているのだから。
だから、別れ際にありったけの思いをこめる機会も少なくなった。別れはぐっとカジュアルなものへと変化している。
それでも、私は彼女にお餞別のつもりでプレゼントを渡した。いつでもオンラインで会えるけれど、別れの儀式はなんとなく大切にしたかった。
「私はあなたと離ればなれになるのがさびしいよ。大好きだよ」
その思いを伝える絶好のタイミングなのだ。彼女を大切に思う気持ちと、いままで仲良くしてくれたことへの感謝。ふだんはなかなか言えるものではないから。
しょっちゅう会って話すことがしばらくできなくなるのは悲しい。「ねぇ、明日とかって空いてる?」とLINEして会う……、そんなのは当分おあずけだ。けれど、お別れ会のつもりのティータイムを設けたことで、きちんとありがとうと行ってらっしゃいが言えた。
別れが果たす役割は、昔とは変わったのかもしれない。いまの私にとって、別れは相手への感謝や愛を改めて伝える機会として存在している。意図的に縁を切ろうとする場合を除いては。
そして、今夏はいろいろと出会いもありそうで、わくわくしているところ。さよならばかりが人生とも言いきれなさそうだ。
出会いとさよなら、さよならと出会いがぱたんぱたんと忙しく訪れるのが私の人生のような気がする。
人生が終わる頃には、出会いとさよなら、どちらの数が多くなっているのかなぁ、とかぼんやり考えている。