そんなんもう思い出されへんわ
メッキや金張りのアクセサリーを手入れしていたとき、ふとこのピアスが気になって仕方なくなった。
古いもので、鈍色にくすみきってしまっていたから、もう処分するしかないのかと諦めていた。しかし、ネット検索して見つけた方法をいくつか試してみたら、嘘のようにぴかぴかと輝くようになった。
新品同様とは言わないけれど、着けて外出できる程度にはきれいだ。
これは約15年前、昔からの友人と買い物に行ったときに、たしかインポートものを多く扱うセレクトショップで購入した。それなのに、お店の名前が思い出せない。思い出せないからよけいにこのピアスの存在が気になり始めた。あのお店、なんていうんだっけ。
意地でも思い出してやると心に決めたところで、たまたまその昔からの友人とお茶することになった。
喫茶店で、わたしは友人に尋ねた。もちろん、耳にはあのピアスをぶら下げて。
「このピアスさ、15年くらい前にいっしょに買い物したときに買ったのよ。でもお店の名前がどうしても思い出せなくてさー」
友人はころころと笑いながら答えた。
「そんなん、今まで数えきれへんくらいいっしょに買い物に行ってるんやから、わたしだって憶えてないよ」
なぜかわたしはそこでちょっと感激した。
そうだ、彼女とは「どこへ行った」「あそこで食事した」というシチュエーションを憶えきれないくらい長いこと、友人づきあいをしている。知り合って25年ほど経つ。
「そういえば」のフレーズをきっかけに断片を思い出すことがあるくらいで、どのセレクトショップでどちらが何を買ったかなんて、お互い記憶にない。
それだけ長い年月が過ぎたのだと思うと、鳥肌が立つほど感慨深い。
ただ、12年前に彼女と大喧嘩したことだけははっきりと憶えている。「もう友達でいられなくなるかもしれない」とさえ思った。謝るためにメールを送ろうとする指先が震えたのだって、喧嘩して以来はじめて会うとき、カフェのお手洗いで緊張のあまり涙ぐんでしまったのだって、憶えている。
でも、今は「なんやかんやあったけど長いつきあいだよねー」と頷きあいながらお茶が飲めている。もしかしてこの関係ってけっこう宝物なんじゃないの、という言葉は二人とものみこんだままだ。
もう憶えきれないよ。そんなことが言えるわたしたちのつながりに感謝したほうがいい。ピアスを買ったお店の名前なんて思い出せなくてもいいじゃないか。