ひと味ちがうアナ雪の話をしよう
双子の娘たちはもうすぐ7歳になる。言葉づかいもふるまいも、成長を感じさせるものが多い。
彼女たちにはいくつか好きな映像作品があって、『アナと雪の女王』はそのうちの一つだ。ちなみに、『アナと雪の女王2』は観てくれない。森に入るシーンが怖いと言って、途中で挫折した。せっかくBlu-rayを買ったのに。
このあいだ、次女が好きな映画タイトルを書き出していた。ふとのぞきこむと、そこには「となりのととろ」「ぽにょ」に並んでこう書かれている。
「アナとゆきのじょおう」
ほほう。わたしは次女に気づかれないよう、にやりと笑った。
彼女たちはこれまでずっと「あなとゆきのじょー」と書いていたのだ。発音するのを聞いても、二人ともはっきり「ゆきのじょー」と言っていた。
アナと雪之丞。
大ヒットしたディズニーの名作映画が、たちまち和風というか、歌舞伎風味になってしまったと、わたしは笑いを噛みころすのに必死だった。こういうのって、ツボにはまったら最後、脱するのに一苦労なのだ。
「あ、ゆきのじょーだね」とわたしが言うと、次女から鋭い指摘が飛んできた。
「ママ! ゆきのじょーじゃないって! ゆきの、じょおう、やから!」
訂正されてしまった。微笑ましい昔の思い出に浸っていたら、ぴしゃり、である。
また一つ、言い間違いや覚え違いが正されてしまった。「DVD」を「でぃーぶいっぶいっ!」と言い間違えていた彼女たちはかわいかったのに、それもすっかり言わなくなった。
ああ、この子たちはこうやって成長していくのね、としみじみする。子育て生活のあちこちに、抜け殻みたいに成長のしるしが落ちていく。わたしはそれを拾っては、母親としての役目が今のような形では必要とされなくなる日にまた一歩近づいた現実を噛みしめるのだ。
夫に言ってみた。
「あの子たち、『ゆきのじょー』って言わなくなっちゃったんやけど」
「あれかわいかったのにな。喜ばしいんやけど、なんか寂しいな」
わたしたちは夫婦であり、かすかな寂しさを共有しつつ育児の日々をともに戦い抜く同志でもある。共同戦線を張らなくても済むようになる頃には、どんな関係ができているんだろう。
そのときになって抜け殻と化してしまわないように、自分の時間を充実させたいとは思う。なのに、赤ちゃん時代の娘たちの写真を求めてiPhoneのカメラロールを見返す手が止まらない。
もう一度、「ゆきのじょー」が聞きたい。母がうじうじとそんなことばかり考えているあいだに、娘たちはきっと次のステップを踏みだそうとしているに違いない。
応援するし、精一杯サポートする。でも、今はちょっとだけしんみりさせてほしい。