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現実主義ということ
大江健三郎の短編小説『セブンティーン』で、主人公が「こんなことは無駄だよ」と思いながらデモ行進に参加するという場面がある。個人的に好きなシーンだ。なぜ好きなのかと言うと、僕が大切だと思っているデモ行進が否定されているから。
また、ハンナ・アレントの『人間の条件』の新訳も読んでいる。以前、友人にアレントの人間を鍛えるそのあり方を「無理ですよ」と一笑にふされたこともある。
こんなのこともあった。ジャイアンツファンの若者と口論になり、「ジャイアンツだけで野球をやってみろって言えない他のオーナーが悪いんですよ」とトドメを刺されたり。
言っていることは覆しなようがない極端な現実主義でも、僕は闘うことを選ぶ。ポリコレなんて、フェミニズムなんて無理だという声も聞こえる。
僕は以前、大槻ケンヂの『グミ、チョコレート、バイン』のあらすじを聞いて、「俺そんな夢みたいな話は嫌でね」と言われた。スクールカーストの底辺から一発逆転をねらう話。要は理想や社会運動が嫌いな人は、極端な現実感に逃げる。大きなものと闘えることが内心羨ましいと思いながら、勝つ話があってはならない。それを信じたら、努力しなければならなくなるから。だから今日も努力したくない人は現実に逃げる。