食にまつわるあれこれ
今回は「食」の話。2023年1月から20年振りの独り暮らしをしているのだが、去年はほとんどカップ麺と冷凍食品で過ごした。しかしいろいろな人から「心身によくない。特にメンタルによくない」と言われ、今年は自炊をしている。金銭的な負担はちょっと増えたけれど、料理は楽しい。なによりもカップ麺より遥かに美味しいのがいい。ダイエットにもいいと思う。
食べることは好きだ。Xでも、フォロワーさんが料理の写真を載せているとついついいいねを押してしまう。料理の腕に関しても、あまり人に食べてもらったことはないが下手ではないと思っている。少なくとも「この料理、不味い」とかそういうことは言われたことがない。
しかし食べることが好きと言っておきながら、食に関してけっこう保守的な人間でもある。飲食店を新しく開拓するのにはかなり勇気がいるし、いざ飲食店に通うようになっても同じメニューばかり頼んだりしてしまうのだ。
昔は食べられないものも多かった。寿司、天麩羅、おでんなんかが苦手で、今にして思えばもったいなかったなあと感じている。基本的に自分は「出されたものは残してはいけない」という教育を受けているし、「すみません、これ食べられません」というのも気が小さくて言えないので、苦手なものでも食べるのだが、それでも食べられないのは梅だ。自分は梅がとても苦手で、梅干しも梅酒も口に入れることができない。納豆も苦手だ。独り暮らしでは納豆が安くて栄養があるためにお勧めだと言われているが、どうしても苦手である。
食の価値観はけっこう人によって違うんだなあと思ったのは19歳で同棲を始めた頃だ。一緒に暮らした女性はラテン系のハーフだったのだが、彼女は完全に兵庫生まれ兵庫育ちだったので彼女の実家にお邪魔するまではラテン系の食べ物は口にしなかった。料理は毎日交代で作っていたのだが、価値観の違いはやはり現れた。
僕が1番「なんだよ……」と思ったのは、鮭の塩焼きを夕飯に出したときだ。彼女に「鮭を夕飯に食べるんだ」と言われて、ちょっとイラっとしてしまった。大量の大根おろしと一緒に食べる鮭の塩焼きって十分に夕飯で通用すると思うけどなあ。あれから20年、今でも僕は鮭の塩焼きを夕飯で食べている。
他には、シチューライス。ご飯にホワイトシチューをかけて食べるというやつだ。あれ凄く美味しいのに、彼女に「そういう食べかたあるんだ」と言われた。特に馬鹿にされたわけではないが、なんか傷ついたな。
考えてみれば父親も食事には保守的だった。僕がツナマヨネーズのおにぎりを食べていると、「よくそんなの食べることできるなあ」と言われたものだ。この父親が青森出身なので、僕の母親は東北人向けの味の濃い料理にするようになったらしい。
今年に入って自炊するようになり、料理のサイトなんかも見るようになった。それでわかったのは、食べるのは好きだけど味に対するセンスみたいなのがないということだ。昔、ドトールコーヒーで働いていた頃、8分茹でたウインナーと15分以上茹でたウインナーを食べ比べて、「わかる? 15分以上茹でると味が落ちるでしょ?」と先輩に言われたのだが、正直言って僕にはそこまで違いがわからなかった。確かにウインナーは多少くたびれてるとは思ったけれど、そこまで差はないように思えたのだ。
同じように、マクドナルドとモスバーガーのどちらが、松屋と吉野家とすき家ではどれが、といったこともあまり気にしていない。唯一、これは違うなと思ったのは地元の友達Mくんが御馳走してくれた鰻屋の鰻重だ。あれは美味しかった。
今回、本当になんのひねりもない記事だったね……。
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