神さま、いないな
お中元戦線前の3連休があったのだが、自転車がパンクしても近所で自転車屋を見つけられなかったり、お腹壊したりして、執筆は本当に捗らなかった。Twitterでは優しくしてもらったが、「体調を整えることから」というのを怠ったのは不覚。
今は冷蔵庫部屋に配置転換されたのだが、風邪をひかないかが心配だ。僕は自分の「身体のサイン」を受け取る力が弱く、風邪をひいてることに気づかなかったりする。なぜそうなかったのかの理由はハッキリしていてる。それは親の介護だ。
今日はそんな親の介護が終わってから就き、1時間もせずに解雇になった話。
2023年1月4日、父親が大動脈瘤破裂で急死した。68歳だった。これで2007年から介護していた2015年冬と同じ、遺品整理と挨拶、そして死亡保険金受け取りなどの手続きに追われることとなった。独り暮らしは19年振りだ。なにかそこに、「1周回ってきたな」というものを感じる。
母親が死んだのは2015年2月14日。この時は、正直に言えば医師が死亡宣告をした時に、「解放された」という思いもあった。この時期は僕としては1番キリスト教の勉強をしていたけれど、「神さま、いないな」と思ったのを覚えている。父親はそういったことは言わなかった。僕はある程度親しくなったクリスチャンには必ず「信仰を棄てかけたことありますか?」と訊いているが、父親には訊いたことがない。おそらくこんな答えなんじゃないかというのもない。信仰心がある人のように見えてドライで現代的なところもあったが、本当になんと言うのだろう。
2月、僕は新居からほど近い工業品の部品工場で働くことにした。あの頃、いろんなことを考えていた。ともかく、1年間はゆっくりしようと思っていたのを急にやめるしかなくなった。神さま、いるのかなあ。僕にはわからない。いなくても僕の生活に変わらないような気がするけれど、どうなんだろう。