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ドストエフスキーと手続き仕事
前回までのあらすじ 17歳で家出し関西のA市に移住したこがわゆうじろうは、ゴミ収集員のアルバイトをしながらフラつく日々。行きつけの喫茶店のウェイトレスであるMさんと交流し、1度、東京に帰ることにする。先輩からテレキャスターギターを譲り受け、改めてA市に戻ることにする。
2002年4月、相変わらず僕は世間でなにが流行っているのかはわからなかった。家出する際、大槻ケンヂと伊集院光とつげ義春のサブカルチャー漬けから脱却しようと試みた僕は、ハイカルチャーと言われるフョードル・ドストエフスキーやヘルマン・ヘッセ、それにトーマス・マンを古本屋で買って読むようになった。そしてゴミ収集員を辞め、TSUTAYのようでTSUTAYAでないレンタルビデオショップで働こうとしていた。
この時、僕が考えていたのは、体力仕事以外の仕事が自分にできるのかということだった。ゴミ収集員の仕事は確かにハードだったけれど、例えば燃えるゴミの日に大量の燃えないゴミが捨てられた時に注意書きを貼って突き返すといった仕事は公務員であるUさんがやってくれていたので、やることはゴミ捨て場に行って回転板にゴミ袋を投げ込むだけだった。僕に、「これは○日延滞ですね。○○○円になります」とか、「レンタルカードを作るためには保険証か免許証が必要となります」とか言えるのかなという不安があった。
「わたしもできるかわからないよ」と、喫茶店のウェイトレスであるMさんは言った。僕はMさんと近づきつつあることは確信していた。そんなMさんに、一緒にTSUTAYAもどきで働きたいとも思っていたけれど、彼女も1人暮らしだった。馴染んだ仕事を辞めるのは大変だろうという気持ちになった。この頃から、僕には手続き仕事とかに対する畏怖畏敬があったように思う。
この時、Mさんと話して一緒に働かないかと遠回しに言ったところ、「不安なの?」と笑って言われた。「正直言って不安」と言うと、彼女は「チョー受ける!」と言ってケラケラと笑った。僕は手続き仕事のことと、ドストエフスキーについて考えていた。