『マリリン・トールド・ミー』山内マリコ
『マリリン・トールド・ミー』を読んだ。よかった。
母子家庭親子の関係性というか、母親の良い親であろうとする覚悟がよく分かって、素敵な人だなあと思った。なかなかああいう風にはなれないと思う。
ぐっと来たのはこの部分。
母親と娘って、割と特殊な関係性だと思う。自分の娘を一心同体の存在として捉える母親って少なくないんじゃないかなあ、と最近考えている。だけどこの母親は、娘のことをちゃんと別人格の意志を持つ存在だと分かっている。そこがよかった。
あと、この作品は「女って生きづらくない!?どうしたらもっとみんなが生きやすくなるんだろうね?」って問いかけてくれているのかなあ、と感じていて、そういう意味でここの母親の話も印象に残った。
この他にも印象に残ったのは、主人公が卒論の指導教官の部屋を訪れている時に同じゼミの男子学生が入ってきて、ちょっとしたことで主人公を小ばかにするような、揚げ足とりをするような発言をした時の、指導教官の心の内。
ふと、私自身は同年代の男性に小ばかにされたりした経験ってあんまりないなあと思った。世代の問題?とも思ったけど、この主人公は私よりも10歳くらい年下だから、世代で片づけられるものでもなさそう。
こういうのって、思春期~20代前半くらいまでの間に経験しそうなイメージがあるけど、中高の間は成績は悪くない方だったし小ばかにされるような要素は無かったと思う。大きかったのは、大学は女子大に行ったことなんじゃないかと思っている。
インカレサークルには入っていたので、同年代との男性との交流はそれなりにあったけど、学ぶ場に異性がいないという状況は結構影響している気がしている。
今思い出したけど、就活のために予備校に通っていた時期があって、そこには旧帝大のめちゃめちゃ頭いい人たちも通っていた。同じクラスに帰り道が同じ方向の男子2人がいて、その二人がこの集団の中でも頭がいい(試験成績が良い)人たちで、電車の中で予備校のテスト結果の話とかになると、私の結果を指して「え、やばくないそれ?www」みたいに言うから、いつも本当につらかった。
その時は開き直って「やばいよー😢」みたいに言っていたけど、あれってまさに「わきまえた仕草は骨にまで染みていて」「知らず知らず浸食」されていたんじゃないのか。
もし共学に行っていたら、私やっていけなかったかもしれない。
以前、中室牧子さんが中央公論で「女子は同性の中で過ごす方が成績がよくて、男子は異性と共に過ごす方が成績がよいという研究がある」みたいなことを言っていた気がする。ごめんなさい、記憶があやふやです。たぶんこれ👇
たぶんこの時に言っていたことと遠くないのはこれ👇
単に読書感想文をしたためようと思っただけなのに、なんかいろんなところに思考が飛んじゃった。
おわり