典座教訓
こんにちは、コイアイです。
講談社学術文庫から出版されている 『典座教訓 赴粥飯法』を 初めて読んで思ったことを ここにnoteしておこうと思います。
なお、赴粥飯法はまだ読み終えていないので典座教訓についてです。
出会い
ハナハナワークス代表の中村さんが何度も twitterや講演会の中で触れており 読んでみようかなというのがきっかけでした。 ありがたい。
全体としての感想
特別な方法を使うことが悟りに繋がるのではなくて、普段の行いから悟りにたどり着けるのではないか という事を感じました。
ワタシは仏教に対する知識もまた浅いので 悟りが何たるかは分からないのですが、
典座として料理を供養するということに関して なのだけれども、典座が料理を提供するというのは料理人という具体的なことではなくて もっと根幹で本質的なところについて伝えてある本
全ての動作をもっと丁寧にしていきたいとおもいました。それは自分自身が生活することにおいてもですし、もちろん仕事にたいしても。
好きなエピソード
ざっと説明すると
道元が天童山で修行していた時、年老いた典座が海藻を干していた
なぜ?自分でやるの?しかもこんな暑いときに?
というエピソードなんだけれども
これを読んで、わたしが例え 上とみなされるような立場につくときがあったとしても このことを忘れるようにはなりたくないと思いましたし、
この典座の方のように それが偉いだろう みたいに振る舞いをせず 至極当たり前だから といった心持ちで仕事に挑むべきだと思わせれた。
これが一つ目で、もう一つこれまた道元が中国留学中の話の中で
阿育王寺の老典座が長い道のりを歩いて桑の実を探し求める話があって
このはなしがまさに、おもてなしって何だろうって考えさせられる話で、
おもてなしという言葉に関してはテレビといったメディアが言っているような多用するような言葉ではなくて もっとなにか本質的な もっと考えなければいけない因子が沢山あると思いましたし、 その真意については言語化できるような思想なのかなとも思いました。
ここはもっと私自身が考えるべき点でした。
自分
日本国建仁寺の天井の実情という章があるのだけれど この姿が今の私自身なのではないかとハッとさせられてしまった。目的や思想をなくして、仕事をすることの虚しさというか、仕事を責任をもって取り組むってことが まさにこれだと ワタシの日ごろの行動について 振り替える章だった。
言われてから仕事をするのが、遅い っていうのは この意識が欠けてしまって起こる結果なのだなと。
どうすればいいか。
この本はハウツー本のようにすぐに実践してそれで終わりとかではなくて
一生涯かけて心得ておくべき教えである。 真意だとか真心だとか人の根っこにある抽象的な段階のものを もっと自分なりに解いていくという一朝一夕でなされない長い期間で織り上げていく思考が欠けてはならないなと。
また三つの心構えで記されているように、喜心 老心 大心 について こういう言事だと自分の中で説明できるようになりたいですね。
本として
原文 訳文 注釈 の順で丁寧に書かれており、仏教に全く知識のない私にも楽しく読むことができた。
それでは!