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Slackに怯えなくなった毎日が、とても愛おしい話。

お休みの日に、携帯を見なくなりました。

個人事業主になってから数年は、丸々休みの日ってほとんどなくて
日々何かしらやっていたし、仕事関連の連絡も昼夜問わずあった。

それはそれで、自分で選んでやっていたことだから苦ではなかったのは前提としてのお話。

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4月から全く新しい職種で、会社員として勤務を始めてから
勤務時間外も休みの日もずーっとSlackの通知を気にしてて。
前までは、癖でTwitter開いてたのが、癖でSlack開く日々に変わって。

だんだん、通知がくるとドキっとするようになって
それから、通知が来てもSlackを開くのが怖くなって。

勤務時間外に連絡がつかなくて、緊急でもないのに嫌味を言われた時には、なんだかもう感覚が麻痺してて「ごめんなさい」って気持ちしかなかった。(遠い目)

せっかく作った1日のお休みでも、容赦無く来る通知。
予告無く震える社用携帯。

ある日、憔悴しきっていた私を見かねて美味しいご飯を食べに行こうと誘ってくれた恋人。

楽しくて美味しくて幸せな気持ちで帰ってきて
持って出かけなかった社用携帯に目線を移すと着信の通知。

この瞬間、私の中で緊張の糸が切れたのがわかって
「あ、もっと自分大事にしよう。このままじゃ壊れる。」って本気で思った。
ので、退職を決意しました。

最近も、仕事とプライベートの時間をバランスよく取るように心がけていて
気がついたらお休みの日にほとんど携帯見なくなったなと、気がついた。

前までは逆に気にし過ぎてたんだと思うけど。

一緒に過ごしている人に一言断ってまで仕事の連絡返したりしてて
すごい嫌だったな〜〜って今となっては思う。

目の前の人とか、体験や時間に集中して
それがいかに心身の健やかさを保っているのか改めて感じています。

人にとって「休む」の定義は色々あると思うけど
私は携帯の通知から思う存分離れることで、荒んでいた心も体も元気になっていくのがよくわかる。

それでいて、やっぱり自分の時間をどう使うのかマネジメントするのはとても大切だし、そのためにも自分にとっての「快・不快」を理解しておくプロセスは外せないよね、と思ってる。

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何かを、誰かを否定したいんじゃなくて
私の人生においてSlackの通知の優先度を上げることは苦痛であったということ。

その違和感とか苦痛から離れたら、今毎日がなお愛おしいと感じてます。

これを読んでくれた、あなたにとっての「お休み」が
もっと言えばあなたにとっての「毎日」が
より愛おしくなる選択を、応援しています。

2022年、夏


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木村みほ
支えられて生きています。いつもありがとうございます。

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