嫌な思い出
私は記憶力がとてもいい。
あの教科書のあのページの左に書いてあったな
この答え先生が黒板書くときに字間違えたな
これ〇〇が凡ミスしたって言ってた問題だ
テストはこんな感じで、いつも成績優秀。
学生時代は、
自分の記憶力に誇らしさを感じていた。
しかし、社会人になってからはちがった。
あれ?〇〇にするってこの前先輩が言っていたのに、違う決定になっている…
先輩がチラッと言ったこと、やらなきゃいけないと思ってたら、もういらないらしい…
「去年は7月13日に〇〇やって、〜〜という反省がでたから、今年はやめようって話してたんですよ」「ほんと〜?」あれ…あれ…
記憶が邪魔ばかりしてくる。
こう言ってたのに、こう決まったのに、
どうして?どうして?なんで?
記憶が仕事をしてくれる時もある。
『去年はどんなだっけ?』
「はい、去年はホール借用の関係で9月の第一金曜日に実施しています。〇〇さんが開始時刻に間に合わなかったので、集合時間を早めるかという反省が終わった後の反省会ででていると思います」
『おぉ…すごいね』
あ、引いている。
周りからは変な人だと思われていると思う。
私は嫌な気持ちがとても広い。
いまの言葉のニュアンス
間違えて捉えられたんじゃないか、
嫌な思いさせたんじゃないか、
いま空気を読めない発言したんじゃないか、
立場にそぐわない発言をしたんじゃないか、
面倒な人間だと思われたんじゃないか、
できない人間だと思われたんじゃないか。
見限られたんじゃないか。
きっと他の人にとっては嫌じゃない気持ちが
私にとっては嫌な気持ちに分別される。
嫌な気持ちボックスはどんどん溜まっていく。
子どもの気持ちは、白いボックス
中学生の気持ちは、赤いボックス
高校生の気持ちは、茶色いボックス
大学生の気持ちは、青いボックス
いまの気持ちは、透明ボックス
度々このボックスから
頭の中に飛び出してきて
私を嫌な気持ちにさせる。
良い記憶も嫌な記憶も
忘れられない。
むしろ、嫌な記憶は自分を戒めるために
忘れてはならないと思っていた。
だから、私は生きるのがヘタなんだ。
大学の授業で、先生が言っていた。
「嫌な思い出はずっと背負わなくていいのよ。
背負い続けたら、リュックが壊れてしまう。
そっと道端に置いていっていいのよ。」
え、そうなの。
嫌な思い出置いていってもいいの。
そんなの知らなかった。
社会人3年目。
新しい思い出がどんどん入ってきて、
いつだってリュックはパンパン。
そんな時は嫌な思い出をひとつ置いていく。
まだヘタだけど
ヘタなりにがんばっている。