夏草薫る
彼と先日逢ったとき、「むかしって、もっと涼しかったよね」と語り合いました。
気温は確かに、今の方が高い。
むかしはこんなに暑くなかったですね。
子どもの頃は、暑くても30℃くらいだった気がします。
実家を建て替える前、5年生以前は、軒先に葦簾を立てかけて大きな日陰をつくり、涼んでいました。
私の体感でしかないかもしれないけど、あの頃って、暑いけど、そのなかでも、さぁっと風が吹いたりして、どこか爽やかだった。
朝早く起きると、草の匂いがして、蝉の声で一日が始まった。
私は自然豊かな田舎で育ったから、日中は帽子をかぶって野山を駆け回り、虫を追いかけて、家に帰ると母のお手製の葡萄ジュースや梅ジュースを飲むのが楽しみでした。
道路の照り返しとか、そんなになかった気がする。
夜は夏の虫が鳴いて、近くを通ると虫は黙って息を潜めて、通り過ぎるとまた鳴き始める。
今日はちょっと用事があって、実家の方に行きました。
電車で2時間弱くらいかな。
うちの実家のある街は河辺にあって、私は子どもの頃から河辺が大好きでした。
懐かしくなって、用事が済んだあと、河辺に行きました。
土手で寝っ転がると、懐かしい、そしていつも変わらない草の匂いがしました。
よく授業を抜け出して寝転がっていた高校生の頃と、今の私はあまり変わってない気がしました。
空、鳥、雲、河の静かな流れ、鮮やかな緑の草、光。
なんにも変わらない。
30代後半から40代前半まで住んだ街にも、徒歩15分くらいのところに大きな河が流れていて、その河辺で寝っ転がっていたら、「アンタ、大丈夫かい、死んでるのかい」と、知らないじっちゃまに大慌てされて、「え〜、東京で寝っ転がってると死体と思われるのか」と、思いました。
確かに、顔に雑誌乗っけて仰向けに転がってたら、死人みたいに見えちゃうのかもしれない。
でも東京のひとって、すぐ騒ぐっていうか、田舎みたいに、放っておいてくれないのね。
今日も田舎で寝っ転がってきたけど、田舎は良いですよね。
寝っ転がっている私も含めて『ひとつの風景』として認識してくれる。
部活で走ってる、おそらく我が後輩の高校生たち、お散歩のおじいとおばあ、犬の散歩のひと、チャリで疾走してるひと。
みんなまとめて、河原の景色。
平凡な、夏の一日。
でも、特別な、夏の匂い。
私が求めてる夏は、『あの頃の夏』なのかもしれない。
でも、遠い情景なんかじゃない。
ちゃんとそこに在って、私は今日再び、それに触れることができた。
夏の匂いのなかに、戻ることができた。
夏は続いていく。
来年も。
また、行こう。
『あの夏』を、掴まえに。
『あの夏』に、抱かれに。
読んでくださって、ありがとうございました。
また明日。
おやすみなさい。
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