サドル
うちの隣の隣のマンション、間口がとても狭くて、駐車場も駐輪場もありません。
でも、ある住人さんは自転車が必要だったみたいで、更に左隣の無人の家屋の前に、駐輪するようになりました。
私が今の部屋に越してきて4年経っているのですが、越してきた少し後から、自転車はいつもそこに停めてありました。
いつからかは分からないのですが、その自転車のサドルが、無くなっていました。
私はそういうエネルギーも読めるので、それが単なる窃盗ではなくて、意図的に抜き取られたのだとわかりました。
そこに自転車を停めていることに対して、それを面白くないと感じているひとが居る。
そして少なからず憤っている。
正義のお仕置き的な気配も感じる。
サドルは、自転車の命。
サドルが無ければ自転車には乗れません。
持ち主さんのショックや、動揺、そして諦めの気持ちが伝わってきました。
ずーっと、その自転車は放置されたままになりました。
空き家の前だし、特に誰かの迷惑になっていたようには思えませんでした。
でも、確かに、サドルを抜き取ったひとからの悪意が漂っていました。
「意地悪なことするんだな」と思いました。
そこに停車して欲しくないなら、『ここに停めないでください』って紙に書いて、自転車のカゴに入れておけば済む話です。
でも、サドルを抜き取った。
数ヵ月後、放置されたままの自転車のカゴに、無造作にサドルが入れられていました。
今さらそんなふうにサドルを返却されても、持ち主さんが喜んで、サドルをセットして自転車復活!なんてならないだろうな、と思いました。
案の定、持ち主さんは、自転車を放置しました。
空き家の前に、放置された『粗大ゴミ』が誕生してしまいました。
このことの方が、ずっと問題だと思うんだけど。
そもそも、誰の敷地でもない、空き家の前に自転車を停めたことが、そんなに悪いことだったのかな⋯?
マンションの前に停めたら、出入口を塞いでしまうし、それを避けるために、隣の空き家の前に置いただけだと思う。
私には、自転車を停めたひとよりも、サドルを抜き取ったひとの方が、行動に悪意があると思えました。
自転車の持ち主さんは、まだ住んでいるようです。
放置された自転車から、持ち主さんの、それを見る度に痛む心が伝わってきます。
引っ越すときも、たぶん、自転車連れていかないんだろうな⋯。
一番可哀想なのは、自転車。
乗れなくされて、放置されて。
ゴミになんて、なりたくなかったよね。
私が引き取って、うちの駐輪場に置いて、磨いて、サビ落として、サドル調整して⋯って、やっても良いんだけど、私が手を出すことでもない気がする。
私が引き取って、自転車がまるっと消えてしまったら、また持ち主さんに新たな動揺が生まれてしまうかもしれないし。
結果、見守るだけ⋯ごめんね。
なんもできないことって、ある。
でも、私分かります。
サドルを抜き取ったのは、近所の商店のご主人です。
古くから居るひとにとっては、新しいひとの行動が気になって仕方ないみたいですね。
誰かが誰かを裁いたり、懲らしめたり、そういうのが無い世の中になってほしいな。
読んでくださって、ありがとうございました。
また明日。
おやすみなさい。