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正夢

私は毎日のように夢を見ているのですが、子どもの頃から、正夢をよく見ます。と言っても、現実世界で体感するのは、数年後です。

例えば、小学5年生の頃に見た、新しいクラスの顔ぶれは、中学1年のときに「あ、これ、あのときのひとたちだ」と解りました。

その他、たくさんの職場を夢で見ました。
数年後に、ふとした瞬間、ピタリと嵌るのです。
「この階段、見た」
「ここでレジ売ってた」
「品出ししながら同僚と笑ってた」
何故か、いつも数年後です。
数日後とか、ないんですよね。
これを予知夢と言う方もいらっしゃいましたが、私はただの正夢だと思っています。


夢を見ながら、「ああ、ここ、いつか来るんだろうな」って、思ってるときもあります。
不思議とその景色の中で、橋の欄干だったり、木漏れ日だったり、石だったりに、意識が向かうのです。
そういうのがあると、実際にその景色を見たときに、夢の欠片がダイレクトに脳を刺激してくれて、「ああ、知ってる。見た。居た。来てた」となります。



これは夢から導かれたのか、分からないのですが、以前、青い車に乗っていました。
むかしスピッツの『青い車』を聴いて、車買うときは、絶対青にしようと決めていたのです。
そして青い車を手に入れて、いろんな道を走っているとき、突然夢の景色が現れました。
そこで、思い出したのです。
ずっと、子どもの頃から、青い車に乗って走っている夢を何回も何回も見ていたことを。
夢がそうさせたのか、スピッツに引っ張られたのか、その両方なのか、今でも判別できません。
結果として、青い車に乗っている、という現象が実現した⋯ちょっと不思議な気分です。


今でも、まだ知らない場所や、会ったことのないひとたちが、夢に登場しています。
これから先、数年後なのでしょうね。


そして、夢でしか行けない場所があることも、知りました。
森の中にある、静かな湖。
赤い欄干の太鼓橋がある川。
夜の集落。
何層にもなっている巨大な宿。
これらは実在しています。それがはっきりと解ります。
でも私は、夢で繋がるしかできない。
そこには扉があるのです。
見えない扉。別世界への扉。
夢は私のなかでは夢ではなくて、異空間への旅なのです。


いつも夢は、何かを教えてくれています。
それらが瞬間だったり、場所だったり、ひとだったりするのですが、みんな、必要なことなのです。
私はここに在るべくして在るんだな、ということが理屈抜きで感じられます。
夢に導かれているのかもしれないし、夢自体がお導きによるものなのかもしれません。


まだ見ぬ世界へ。
いつか行く未来へ。


読んでくださって、ありがとうございました。
また明日。
おやすみなさい。

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