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ありんこ

子どもの頃、お風呂、浴槽の蓋は3cmくらいの厚さの木の板でした。何枚かあって、並べてあって、湯船に浸かるときは端に寄せて、使っていました。
あれは檜ではなくて⋯たぶん、杉材かなぁ?

その板を1枚だけ、タオルを置くのに使っていて、そこにお湯で濡らした指で絵を描いたり文字を書いたりしてお風呂の時間を過ごしていました。


あるとき、小さな赤アリが、その板の上を歩いていました。
子どもだった私はなんの悪気もなく、つーっとお湯で線を引きました。
突然現れた水の壁に、ありんこは戸惑っているようでした。
私は面白くなって、ありんこの周りに次々と線を足していきました。そして、1箇所だけ通れる迷路に仕立てていきました。

小さな赤アリなら、通れるくらいの隙間でした。
でも、実際には、赤アリはその隙間を通ろうとはせずに、また道を戻り、迷路のなかに入って行ってしまいました。

何度か、その隙間に近づくのですが、ありんこは通りませんでした。
「そこだよ、そこ。通れるんだよ」と思って見ていましたが、ありんこは引き返してしまいます。

30分くらい、湯船に浸かりながら、その様子を見ていたのですが、だんだんと、自分がすごく意地悪なことをしているような気持ちになってきました。
ありんこが可哀想になってきました。
意地悪したかったわけではないのです。

タオルで迷路の水を吸い取り、赤アリを指に乗せて、窓を開けて、植物の枝に移してやりました。
「ごめんね」。
巣に帰れるのかは分からなかったけど、外に出してあげたことで、よかった、と思いました。


でも、よくはなかった。


私はその晩、夢を見ました。

平たい岩場に私は立っていました。
360度、見渡せます。

向こうに、全方向に、キラキラと光る水がありました。
水は海でした。
水はジワジワと私の立っている岩場の方に押し寄せてきていました。
満ち潮です。

どこか高いところ、と思っても、周りは平たい岩場。
かろうじて私の足元が少しだけ高い場所でした。

満ち潮の力は強くて速くて、みるみるうちに水が足元にやってきました。

「逃げないと」

でも逃げるところがありません。

水が完全に岩場を飲み込んでいきました。

「どうしよう、逃げられない」

そのときの呼吸、心拍数、焦り、恐怖。
息が詰まりそうになった瞬間、目が覚めました。


部屋は真っ暗でした。
荒い息をして、夢と現実の狭間に私は居ました。


朝が来て、ご飯のときに、私は昨晩のお風呂のありんこと、見た夢の話をしました。
兄が、「おまえって、近いんだね」と言いました。

近いのもあるかもしれないけど、散々迷路で困らせてしまった赤アリの怒りが見せた夢でもあるし、私の罪悪感が同じ『水という恐怖』の夢を招き寄せ、見せてきたのかもしれません。


意地悪しちゃいけないんだ。
それがどんな小さな存在あいてでも。

子ども時代、身をもって学んだお話でした。


読んでくださって、ありがとうございました。
また明日。
おやすみなさい。

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