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珈琲豆の香り

3つのウォーキングコースのなかに、4店の珈琲豆屋さんがあります。路面店で、近くに行くと、とてもいい香りがします。
1店は豆を焙煎して売ってくれるお店。
あとの3店は、豆の販売もしてるし、珈琲を飲めるスペースも併設。
不思議なことに、みんな小ぢんまりとしたお店です。
私は珈琲飲むのをやめてしまったので、立ち寄ることもないし、立ち止まることもないんだけど、通りすがりに素敵な香りを楽しませてもらっています。

私が珈琲を飲み始めたのは中学生の頃からだったと思います。インスタントコーヒーが初めでした。
高校に上がって、私は演劇部に入ったのですが、視聴覚室が普段の稽古場で、その隣の社会科準備室なる小部屋に顧問、副顧問の先生、その他現文、物理、歴史の先生たちが4〜5人たむろしていて、たぶん気の合う仲間同士だったのでしょうね、煙草の煙と珈琲の香りが濃く漂っていました。
珈琲豆をひくやつ(あれ、なんて名前?)が置いてあって、良い香りの珈琲豆が置いてあって、部活に入って一番初めに教わったのが、珈琲の入れ方でした。
何人分入れるには、珈琲豆がどれくらいの量要るか、お湯の注ぎ方はどんな風にするか、先生と先輩たちに教えてもらって、自分のカップも用意して置かせてもらって、珈琲漬けの毎日が始まりました。
私たちは高校生ながらに大人の隠れ家に出入りさせてもらっているような感覚で、珈琲の香りを纏い、珈琲の味に親しみ、時を過ごしました。

学校で本格的な珈琲を飲むようになってから、家でインスタントを飲まなくなりました。信じられないくらい、味も香りも違ったからです。

何故だかは分からないけど、私の珈琲タイムは高校生で終わってしまいました。
飽くまで飲んだのかもしれないですね。


次に珈琲豆に出会ったのは、とある企業さんでの研修の現場でした。
当時、派遣で香水を売るお仕事(百貨店内の香水売り場勤務)をいただいて、マニュアルがA4サイズの紙が4cmくらいの厚みがあるものを手渡され、それを数日で丸暗記しなければならないというちょっとクレイジーな案件でした。そこに、知識と共に香りを覚える、嗅ぎ分ける、お客様の好み(イメージ)の香りを提供する、という作業が加わります。
研修では、朝から晩まで、様々な香水を嗅いで、どんな印象か、何を連想させるか、トップノート、ミドルノート、ラストノートはそれぞれ何が強く感じるかを数人のグループで研修担当者さんと話し合う、といったものでした。
もう何百もの香りを嗅いでいると、鼻がバカになってくるし、「もう匂い嗅ぎたくない、もうやめて」って気持ちになってきます。誰でもそうなります。
そこで登場するのが、珈琲豆なのです。
小瓶に詰めた珈琲豆の香りを嗅ぐと、不思議なくらい嗅覚がリセットされて、また香水の嗅ぎ分け作業が続けられるようになるのです。
どういう仕組みなのか、どんな成分がそうさせるのか、全然解りませんが、随分と珈琲豆には助けてもらいました。

ちなみに、ちょっとだけ、香水のこと。
香水は、つける、ではなくて『纏う』と表現します。香りを纏うのです。
なので、何プッシュもしたら、つけ過ぎです。
香りというのはすれ違ったときに、ほのかに、ふわりと、「あれ?良い香り?」って思われるくらいがベストです。
だから、例えばレストランなどに香水たっぷりで行く、なんていうのはマナーから外れます。
その場の空気を台無しにするし、お料理の香りも霞んでしまいます。気をつけましょう。
片方の手首にワンプッシュ。もう片方の手首を重ねて香水を付着させて、両手首を首筋へ。これで充分です。
シャンプーや柔軟剤の香りが強い方は、香水の香りと混ざり合って訳が分からないことになるので、何を優先して香りを立たせたいか、考えてみてくださいね。香害という言葉もあります、自分だけ満足なら良いという世界ではないので、ちゃんと配慮する、ということを学んでみましょう。


というわけで、もう飲むことはしないのですが、毎朝、珈琲豆の香りを体内に吸い込んで、新鮮な気持ちになって、朝のウォーキングをしています。
不思議ね。
珈琲豆の香りって、なんであんなに心をほどいて、柔らかくしてくれるんでしょうね。



読んでくださって、ありがとうございました。
また明日。
おやすみなさい。


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