映画「丘の上の本屋さん」
古本屋が主題となっている映画はなるべく観るように心がけています(神田神保町を舞台にした「森崎書店の日々(2010)地元岐阜出身の菊池亜希子主演」は良作でした)。このほどAmazonプライムにてイタリア映画「丘の上の本屋さん」(2021) を鑑賞しましたので感想を記します。
イタリアのとある片田舎の古書店主、リベロ(レモ・ジローネ:Remo Girone)がセドリ屋の持ち込みから買い取ったのは一冊の古い日記帖。店番をしながら、お客さん達とのやりとりをする合間にそれをぽつりぽつりと読んでゆきます。綴られていたのは、虐げられた生活からアメリカ脱出を志すに至る半世紀前の若者カップルの物語でした。
その古本屋は「イタリアの最も美しい村」のひとつとされているチヴィテッラ・デル・トロント(Civitella del Tronto)の丘の上、古い石造りの長屋の一角に店を構えていて、ガラスの大扉を開けると壁両側の本棚一面に人文系とおぼしき筋のよさそうな古書が品よく並べられています。もちろん洋書ばかりですが、明るく採光が図られた申し分のない本棚のレイアウトは、劇中に何度となく映され、古びたささやかな室内調度とともにしばらくの間、眺め続けていたい雰囲気にかられます。
さて異なる注文を持って次々にやって来る客のエピソードが物語に編みこまれてゆきますが、その都度、彼らに対する老古書店主らしい渋~い応対がこの映画の見どころです。signorina(未婚女性)への下心あって手伝いに来る青年の恋の進捗を見守る姿がなかなか微笑ましいのですが、店先でマンガをあさっていた移民の少年をつかまえて、ただで貸してやることから始まった交歓が、さきの日記帖と相俟って本作の主題として中心に描かれていて、風格をもって自足する古書店主リベロの人柄とともに、古本屋のみならず司書や図書館好きのする映画として強烈に刺さってまいります。
すなわち店主が古本屋を営みながら長年培ってきた、その名“リベロ(自由の謂)”に恥じぬリベラル知識人としての経験値が、まだ真っ白なキャンバスのような少年の心に真っすぐけがれなく移されてゆく。その過程が、人種を超えた祖父世代からのメッセージ性を伴って温かく描かれてゆきます。
もっともそれは他の客に対しては、時に団塊世代の“臭み”となって漂っていて(狙ったものかどうか話柄としてはこちらが面白いかも)、結末でも、少年がもらい受けた本と手紙とに託された思いが(ネタバレゆえ伏しますが)エンドロールにテロップとなって流されるのですが、それらポリティカル・コレクトネスを意識した物語全体の食い足りなさは、自らの余命が短いことを悟る店主の名演と、そしてとにかくこの古本屋が店を構える丘の上の甃(いしだたみ)の街の美しいたたずまいの情景が救っています。
さしたる悪人がひとりも出てこない、観たあと温かいココアを飲んだような余韻を残す佳作映画であることは間違いありません。
【ここからは苦言】
しかしながら2021年の現代を舞台としているのに、そして風光明媚な丘の上、店の隣にはカフェテラスもある観光地であるのに、行き交う人もまばらで外国人は見当たらず、公園に不法移民がたむろしているということもないのはどうしたことでしょう。古書売買をめぐる世知辛い現況も少しは描かれていますが、この理想的な環境と店構えとかの料簡をもって、これまで古本屋としてどうやって生計を立てていたのかも疑問と言えば疑問(笑)、とまれ移民の少年を副主人公に据えている映画であるのに拘らず、いかにも浮世離れした状況設定の感は拭えません。
少年の家庭を描くことをしなかった、出来なかったのは今日のイタリア政治の現状を省みるに、ユニセフが共同制作に関わったがため、脚本からきびしい現実が捨象されることになったからでしょう。その結果、子どもの権利にことよせて移民問題まで不問に付すメッセージを発信してしまっているようにも感じます。主題はクリント・イーストウッド監督の名作「グラン・トリノ」と全く同じであるのに、です。なにも抉られるような結末が必要だと言っているわけではありません。最後に渡される本も何かしらもうひと工夫できなかったか・・・満点をつけたいジャンルなれど、よって★★★★☆で御勘弁ください。(了)