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2018年の作文・1月~4月
◇14日×26=364日 2018.1.14
2018年は365日あります。もう二週間が過ぎましたので、14日。今年は残すところ14日間があと25回です。短いと感じるか、まだまだ先が長いと思うか、人によって違うでしょうが、私はこの二週間で出来たことがそれほどなかったので、少し焦っています。読みたい本がたくさんある。観たい映画もたくさんある。行きたい場所も、考えておきたいことも、やりたいことも、25回では足りない、足りない。計画性がないと、ずるずる年の瀬、そして大晦日の最後の一日だけがおまけとして残されるのです。
本年最初の詩がようやくできてすぐに曲を付けました。
「さむいよるのそら」
からからかわいた
さむいよるのそら
ほしがまたたき
つきがさえわたる
うつくしきふゆのそら
うちゅうのありのままに
こころひらいて
さあ たびにでよう
でよう
ながい ながいたびに
私は今年49歳になります。でも心はずっと17歳のまま。言葉は次第にシンプルになり、それに曲をつけて歌う事だけが近頃の唯一の楽しみなのです。夏には夏の歌を、冬には冬の歌を歌いたくなります。なぜでしょう? 冬に夏の歌を歌っても気持ちがのらないのです。詩はいつも季節に敏感です。昨年12月にもひとつ詩を書き、曲をつけましたので、のせておきます。
「夜の底」
夜の底の
いちばん深い場所で
月がニッコリ笑っています
今年は元旦から月がずっと綺麗でした。今朝の月もニッコリ笑っておりました。
◇鍵を落とす 2018.1.24
おととい東京にめずらしく雪が降り、きのうの朝は雪かきをした。自動車の出し入れに不自由がないよう、駐車場の手前を中心にやったのだが、夜になって車を出してみると、凍結している箇所がいくつも見つかった。それで車から降りて、スコップを出し、氷を割って側溝に落としてみたりした。やりだすと、あっちもこっちも気になって、車のエンジンをかけっ放しにしておくのも近所に迷惑だろうと思い、一度車に戻ったのだ。
ドアを開けて鍵を抜いた瞬間、指の力がすっと抜けて、鍵がシートに落ちてバウンドし、車の足置きのところで跳ね、道路に落ち、氷で滑って、側溝のフタの網目をすり抜け、ポチャンとドブ水の中へ。この一連の動きを私の眼はスローモーション映像のようにただ見つめていた。その流れはまるで運命的とも思えるような動作で進行した。ドブの中の妖怪がどうしても私の鍵が欲しくて引きずり込んだのかも知れない。
なぜ?
なぜ私は鍵から手を離してしまったのだろう。
なぜ私は鍵を途中でつかまえようとしなかったのだろう。
なぜ私はそこでエンジンを切り鍵を抜いたのだろう。
なぜ?
その鍵には家のカギとガレージのカギと実家のカギが一緒についていた。重さも大きさも私には最適な鍵たち。側溝のフタの網に引っ掛かってもよい形態なのだ。それがなぜ?
私は側溝のフタを外して中を覗き込んだ。悪臭を伴った暗闇に襲われた。家に戻り、誰か懐中電灯を出してくれと頼んだが誰も返事をしてくれない。思案。そうだ携帯用のライトがあった。車に戻り、闇の奥にLEDのささやかな光を放射。居た!
鍵は150センチ下のドブ水の上の氷に横たわっていた。しかし手を伸ばしても届かない微妙な距離が私と鍵の間を引き裂いている。何か長いもの、そうだ紐にフックをつけて釣り上げればよいのだ。家に戻り紐をみつけ、台所にあったS字フックに結びつけた。これでよし。ワカサギ釣りにでも行くようなわくわくした気分で側溝に戻る。さあ、紐を垂らして、フックをキイホルダーの輪のところに引っ掛けて釣り上げるぞ、と何度も挑戦したが、紐が柔らかすぎるのか、どうしても目標のところにフックがおりないのだ。せっかちな私は、これは硬いものでないとダメだとすぐにあきらめ、家に戻って、何か硬くて長いものはないかと探す。いい具合のものが見つからず、仕方なく傘を手にして側溝へ。ここで傘
は邪道ではないか。そう思ったが、私はすぐにでもあの鍵の感触を確かめたくて、触りたい一心で、傘の先を鍵に向かって下ろした。鍵に触れた時チャリンとかすかな音がした。いける? もう一度、チャリン。ところがその時、氷が割れて鍵はドブ水の底へ。
そのあとがいけない。あわてた私はドブ水を傘の先でかき回してしまう。鍵は迷宮へと旅立ってしまったのだろうか。
フタを元に戻す。これ以上は危険な領域だ。私はそう判断し、車のスペアキイを家から取ってきてエンジンをかけ車を駐車し、それからキイを抜く。なんか違うんだよなあ。重さと大きさが。この手に長年刻み付けられた鍵の感触は忘れることができないものになっているのだ。だから今日、私は東京都に連絡して、私の大切な鍵を救出することにしている。
なぜ私はハリガネを使用しなかったのだろう。
なぜ私は本能で動いてしまうのだろう。
もっと冷静に、もっと順番に、整理しながら、考えながら、行動できないものか。
できないのだ。できないのだよ。
◇川柳はじめて19年 2018.2.4
出版社で働いている時に、同僚に誘われて句会に参加した。1999年の事。それから隔月で年に6回の句会に参加してきた。この間に会のメンバーは少しずつ減ってゆき、今は五人になり、句会も郵送のやりとりだけになって三年以上が経った。会の仲間が北海道に移住したり、九州に住んでいたり、地理的な事情もあって、顔を合わせることが難しい。それでも私は二ヶ月に一度の句作を楽しみにしている。言葉と向き合う大切な時間を与えてくれるからだ。
俳句でもよかったのかも知れないし、短歌でもよかったのかも知れないが、私は運命的に川柳と出会った。
俳人が短歌づくりで四苦八苦
五七五まではできる俳人もあとの七七で苦戦している姿をこの川柳は見事に詠んでいる。実はこの川柳には続きがあって短歌としても成立している。
俳人が短歌づくりで四苦八苦五七五のあとが浮かばず
こうして並べてみるとやはり川柳のほうが諷刺がきいてて良い。
◇対読(たいどく):『存在と時間』×『論理哲学論考』 その二 2018.2.12
テキストは、前回同様
ちくま学芸文庫の細谷貞雄訳マルティン・ハイデッガー『存在と時間』
法政大学出版局の坂井秀寿・藤本隆志訳ルードヴィッヒ・ヴィトゲンシュタイン『論理哲学論考』
を使用する。
対読9
《デカルトは近世の哲学的な問いの出発点の地盤としての cogito sum(われ思惟す、われあり)の発見者とされているが、彼は ego(われ)の cogitare(思惟する)を──それもある限界内でではあるが──考究した。ところが、egoの sum(あり)は──これも cogito(思惟す)と同じく根源的な位置におかれているにもかかわらず──まったく究明されずにいるのである》(『存在と時間』116頁)
問いを立てるためには、存在していなくてはならない。存在とは何か、と問うことはできるのか?
《世界と生とは一である》(『論理哲学論考』169頁)
問いを立てるためには、言葉を使用しなくてはならない。言葉とは何か、と問うことはできるのか?
対読10
《しかし、現存在の存在をたずねる原理的な問いを妨げ、あるいはそらせてしまうものは、これらの試みが一貫して、古代的=キリスト教的人間学を基準にしているということである。この人間学の存在論的基礎が不十分なものであることを、人格主義も生の哲学もともに見すごしているのである》(『存在と時間』120頁~121頁)
これが世界だ、と言ってもそれを観察している私はその世界と一緒に動いてしまっている。不動の中心から世界をみることのできる人間はいない。
《世界がいかにあるか、ということは、より高次の存在にとっては、全くどうでもよいことだ。神は世界の中には顕われない》(『論理哲学論考』198頁)
私が見ている林檎は次第に腐ってゆく、同時に私は老けてゆく。
対読11
《伝統的人間学にとって重要な意義をもつこれらの源泉──すなわちギリシア的な定義とキリスト教的な手引き──は、人びとが従来、「人間」という存在者の本質を規定するのに急で、それの存在への問いが忘却されてきたということ、そしてこの存在はむしろ「当たり前のこと」として、ほかの被造物の客体的存在とおなじ意味で把握されてきたということを告げている》(『存在と時間』122頁)
誰からも洗脳されていないと考えている者でも、知らぬ間に、ゆるやかな洗脳を受け続けているのかも知れない。言葉を使用している限りにおいて。
《思考とは意味をもつ命題のことである》(『論理哲学論考』94頁)
意味が通じないという事への恐怖心が言葉を使用する者には付きまとう。
対読12
《現存在とは、みずから存在しつつこの存在にむかって了解的に態度をとっている存在者である》(『存在と時間』130頁)
知らずに知っている事柄について考えよ!
《命題は実在の映像である。われわれが実在を考えるに応じて、命題は実在の模型となる》(『論理哲学論考』95頁)
言葉を媒介としない表現手段はあるのか?
対読13
《「現存在」という名の存在者が、「世界」という名のもうひとつの存在者と「ならび合っている」、というような事態は存在しない》(『存在と時間』135頁)
「世界」を共有することはできるのか?
《世界のどこに、形而上学的な主体が認められるのか。君は、眼と視野との関係とまったく同じ関係が、ここになりたつという。しかし君は、自分の眼を実際に見ているわけではない。そして、視野のうちにあるいかなるものからも、それが眼によって見られていることは推論されない》(『論理哲学論考』170頁)
私はこの世界のどこにもいない。
対読14
《世界の内部に存在するものとは、事物──すなわち自然的事物と「価値を帯びた」事物──のことである》(『存在と時間』152頁)
物は「ある」と言うより「なる」と言った方が真実に近い。aruではなくnaru、このnの一字は意味深長だ。無から有への動きを感知できるか。(ない+ある=なる)
《世界は事実の寄せ集めであって、物の寄せ集めではない》(『論理哲学論考』61頁)
時間は、過去・現在・未来へと流れているのではなく、私を乗せて動いているだけである。私はあるのではなく、なるのだ。
対読15
《世界そのものは、世界の内部にある存在者のひとつではない。けれども世界はこれらの存在者を規定していて、それらが、出会ったり、発見された存在者としてその存在において現われてきたりすることができるのも、実はひとえに世界が「与えられている」からなのである》(『存在と時間』169頁)
地球外生命体を探している人たちがいる。そしてそれに遭遇できたなら皆驚くであろう。しかし、宇宙外に何かが存在すると考える方がより驚異である。この世界の外?
《世界はわたくしの意志から独立している》(『論理哲学論考』194頁)
時間の外?
◇智恵子と光太郎
今年になって、お腹まわりのお肉が気になった私と妻は、区の健康センターに通うことにしました。1月の途中からですが、毎週月曜日の午後、ヨガのレッスンに通っています。運動の中心にあるのが、バランスで、片足で腰を落としたり、手を広げて飛行機のようなポーズをとったり、腹筋と背筋を鍛えて、体幹を強化したり。そもそも、メタボになるのは食事のバランスが悪いわけで、すべては心と体のバランスに集約できるのでしょう。
私は今、高村光太郎の『智恵子抄』を読んでいます。光太郎の妻・智恵子は南品川にあるゼームス坂病院に入院し、肺結核で亡くなりました。昭和13年10月のこと。彼女は精神分裂症(今の統合失調症)患者でもあった。光太郎と智恵子の愛の形は、当時の人々の目には異様に映っていたかもしれません。智恵子の光太郎への依存は甚だしく、光太郎の智恵子への偏愛もまた異常であった。二人は共に芸術家で、光太郎は彫刻を、智恵子は油絵を。アトリエに二人で住んで暮らしたが、生活は苦しかった。もし、智恵子が普通の主婦で、光太郎の生活を家事の面でしっかり支えることのできる女性であったら、ずいぶん光太郎の仕事もはかどったであろう。また逆に、智恵子の夫が経済力のある男であったら、智
恵子はもっとのびのびと絵に打ち込むことができたに違いない。はためには真にバランスの悪いカップルなのです。男と女のバランス。生活と芸術とのバランス。社会と個人のバランス。この二人を通して複数のバランス論が展開できるでしょう。智恵子の精神のバランスが崩れていることを光太郎はいくつもの詩に書きとどめています。例えば、
「風にのる智恵子」
狂った智恵子は口をきかない
ただ尾長や千鳥と合図する
防風林の丘つづき
いちめんの松の花粉は黄いろく流れ
五月晴の風に九十九里の浜はけむる
智恵子の浴衣が松にかくれ又あらはれ
白い砂には松露がある
わたしは松露をひろひながら
ゆつくりと智恵子のあとをおふ
尾長や千鳥が智恵子の友だち
もう人間であることをやめた智恵子に
恐ろしくきれいな朝の天空は絶好の遊歩場
智恵子飛ぶ
これはリアルな智恵子の描写であると同時に光太郎による聖化の結晶でもある。映像としての美しさと心情としてのせつなさが詠われている。光太郎はどんな気持ちで智恵子を見つめていたのだろう。詩人の草野心平が「悲しみは光と化す」という一文で、ある日の光太郎の様子を描写しています。
《怒ってるような悲しいような表情だった。薄暗い店だったがそれが分った。私は微笑しながら近づいていった筈なのだが一瞬、私は息がつまるような気持ちになった。高村さんは私の手をギクッと握ると、いきなり/「ね、君、僕はどうすればいいの、智恵子が死んだらどうすればいいの? 僕は生きられない。智恵子が死んだら僕はとても生きてゆけない。どうすればいいの? え?」/泪をふくんだ怒りのような高い語声がビンビン私を打った。咄嗟のことに茫然となり私は返事も出来ない。/「ね、僕は一体どうすればいいの? 僕の仕事だって、智恵子が死んだら、誰一人見てくれるものがないじゃないの?」》
ここに光太郎のすべてがある、と云ったら言いすぎだろうか。私たちは、もしかしたらここにとんでもない純粋な二つの魂を見ているのかもしれません。
世の中にはアンバランスが満ち溢れていて、悲劇的な環境がたくさんある。そこで荒波にもまれながら、この世の無常を私は感じています。しかし環境のどんな変化にも、決して変わらない何かがある筈だ。一切のうつろいゆくものの奥に、その変化を転回する力。私はそれを求めているのです。
参考図書:高村光太郎『智恵子抄』新潮文庫
最近作ったいくつかの歌詞
◇ソシュールの夜
のめば
のめば飲むほど
心の痛みはうすれてゆく
けれど
けれど思いはつのる
つのるばかり
知らず知らずに
じぶんを見失った
こぼれた酒でなぞった
お前のイニシャル
よえば
よえば酔うほど
別れの辛さはきえてゆく
されど
されど泪はあふれ
あふれ出す
知らず知らずに
お前を好きになってた
はずした指輪のうらには
お前のイニシャル
2018.1.25(演歌の歌詞として)
◇白い梅の花
梅の花が咲いている
二月のとても寒い夜
枝越しに半分の月と金の星
梅の花たちが
「こっちをみてよ ほら こっちをみてよ」と
あちらこちらで騒ぎ出します
(花咲く梅の木の下で胸いっぱいに息を吸い込む。梅味の空です)
2018.2.7(曲付)
◇キャラメルの恋
キャラの木の下で
キャラの強い少年が
ポケットの中から
なけなしのキャラメル
取り出してあの子にプレゼント
キャラメルはカラメル
カラメルはお砂糖からできている
だから甘い
あまいあまい初恋のキャラメル
キャラの木の下で
キャラの濃い女の子
ケータイ電話から
意味深な空メール
大人になった少年に送った
空回りの空メール
空メールはお別れの合図
ああ悲しい
かなしかなしい失恋のキャラメル
2018.2.9(曲付)
◇はなのあな
はなのあなのなかに住む
小人たちがいる
(いないよそんなの)
はなのあなのなかに住む
小人たちがいる
(いないよそんなの)
はなのあなのなかに住む
小人たちがいる
(いないよそんなの)
はなの
あなの
なかの
森に
かくれている
小人をつかんで
空へ飛ばそう!
2018.2.10(曲付)
◇現実の皮を剥く
現実に皮があるとして、その皮を剥いて中を覗いてみたらどうなっているか? そんなことをぼんやりと考えていた。実はこの発想はずっと幼少のころからあって、今見ている現実はほんとうの現実ではないのではないかと疑いながら私は生きて来た。高校時代にフランシス・ベーコンの「四つのイドラ」の話を知り、哲学することで何か答えが見つかるかもしれないと思ったものだ。
種族のイドラ:人類の目からみるとそう見えるだけで鳥類や魚類からはそうは見えないような場合
洞窟のイドラ:個人の経験や知識だけで見ていると他の人には見えている世界が見えなくなる場合
市場のイドラ:周囲の人から聞いた話だけで判断するようになり真相から離れてしまうような場合
劇場のイドラ:歴史観や学説など、過去の知見や学者の説にとらわれて真実を見失ってしまう場合
人は思いこみに弱い。ゴキブリに過剰に反応する子どもたちをしり目に私は彼を素手で掴み外に逃がしてやる。このような違いがどうして生じるのか。見ている現実が違うのか。
二つのモデルで考えてみる。まず「タマネギ型現実」。これは現実の皮をいくら剥いても同じような現実が出てくるというモデルだ。それぞれの皮は「仮想現実」であると言える。つまりどこまでも行っても現実は仮想でしかない。あの人の現実が仮想なら、この人の現実もまた仮想で、100年前の現実が仮想なら、100年後の現実もまた仮想である。
子どもたちにとってゴキブリは不浄の化身で、そういうイドラの中に彼らは暮らしているが、私にとってゴキブリは数ある昆虫のなかの一種類で人間に危害を加える立場にはいない。しかし私が見ている世界も別の観点からは仮想の現実に違いないのだ。
次のモデルは「皮膚型現実」。人体の皮膚は一枚剥くとすかさず血が滲んでそれがかたまり細胞の再生作業が始まる。これと同様に、現実の皮を剥くと、本来は表に出てはならない何かがあって、それを塞ぐためにすぐに元の現実が再生されてしまうというモデルだ。この場合、現実が仮想であるという認識は許されず、どこまで行ってもリアルは一つである。そして「それは現実ではない」という異論を徹底的に拒否し、どんなに不条理であっても同じ現実に人を連れ戻す。
日本から見ると、北朝鮮という国は非常識で恐ろしい国に見えるかもしれない。ミサイルを何度も飛ばして威嚇したり、社会主義の国であるのにその指導者が王様のような権力をふるってみたり、実に危なっかしい体制であると。この日本の側の見方を「皮膚型現実」を適用した場合、北朝鮮には体制の変更を願うしかない。現実の脅威が迫っている以上、日本としてはアメリカや中国や韓国を動かして、なんとかその暴挙を食い止めなくてはならない。現実は一つしかないのだから。しかし、北朝鮮の側にもう一つの現実があるとしたなら、その考えは果たして正しいだろうか? 北朝鮮の人民になって考えてみた場合、脅威はむしろアメリカにあり、アメリカと同盟を結ぶ日本にあるのではないか。「タマネギ型現実」のモデルを適用して、考えてみる余地はないか。
与党の見ている政治と野党の見ている政治についても同様だ。「佐川が真実を述べない」と野党はいきり立つ。「佐川はきちんと証言した」と与党が思う。タマネギの皮のような議論が国会では続いている。
私はこう考える。佐川氏は佐川氏自身のプライドを守ったのだ。自分の国家における役割に忠実だったし、自分の生き方にも忠実だった。野党から見たらそれはまやかしの生き方に見え、与党からは一官僚の限界に見えた。ある事象の真実など容易には究明できない。現実が一枚なのか千枚なのかさえ人間にはわからないのだから。佐川氏には父がいて母がいた。その周りにはまた多くの親戚がいて友人がいた。そのうちの一人が私かもしれないし、私の友人だったかもしれない。まじめに勉強し、エリートコースを歩み、国家を動かす側に立った人間が簡単に「全部私が悪いのです」とはならないのが当たり前で、誰もそれを咎めることなどできない。もし自分があの席に座らされたらと想像してみる必要がある。自分の発言一つで国ががらりと変わってしまうかもしれない危うい綱の上に立っていたのだ。親に恥をかかせる場面になってしまったかもしれないのだ。家族が危険にさらされる状況を生むかもしれないのだ。本当のことを言うにしても、何かを隠すための言い訳をするにしても、ひとつの言葉がいとも簡単に曲解され、あっという間に拡散してしまうというシチュエーション。ソクラテスの弁明に匹敵するような緊張感の中に、彼はいたかもしれないのだ。「のだ」を使いすぎたのだ。
私はそれでも現実の皮を剥いてみたい。血が滲むような何かがそこにあるかもしれない。また何もないかもしれない。信念の体系は人により国により文化により様々であろう。私は日本にいる。日本人として日本の国に税金を納めている。なぜ北朝鮮にではなく、中国やアメリカでもなく、日本に税を納めているのか? 私の近くには子どもたちがいて妻がいて、親戚や友人たちがいて、この国に住んでいる。この国の公安を、警察を、自衛隊を、政府をとりあえず信頼しているからだ。家族の安全を保障してくれるかぎりにおいて、私は税金を払い続けるだろう。北朝鮮の人民もまた同じ心情、彼らの信念体系のもとでその国を信頼している筈だ。
四つのイドラに挑むのだ。剥いて、剥いて、剥いて、剥いて、イドラの先に見える世界を共有しよう。
◇羊雲 2018.4.3
青い
青い天空の大草原を
ひとりの少年が
口笛を高らかに吹き鳴らしながら
百匹の羊雲を
追いかけています
少年を慕っている
犬雲も
青い天空を
誇らしげに走り回っています
「牛雲や馬雲はどうしたのですか?」
と村のおじいさんが訊いてくるので
少年は笑いながら
「夕焼け小屋の中さ」
と答えました
そうして
羊雲の群は
みるみる遠くの空丘の向こうへ
きえて
ゆきました
◇飛び魚について
飛行機の窓から外を眺めていると
時折
魚が泳いでいるのが見える
あれは飛び魚ですか?
と隣の席の紳士が云うので
いえ
あれは飛んでいるのではなく
泳いでいるのですよ
と答えた
はじめから空を泳いでいる魚が
飛び魚のように飛んでしまったら
きっと大気圏を飛び出して
宇宙で破裂してしまうにちがいない
そんなことを思いながら
雲海を上手に泳ぐ群なす魚たちを
私はじっと眺めていたのです
いつかあの魚たちの中から
宇宙でも生きていける
新種が現われるのだろうか
宇宙船から
そんな魚たちを
眺める日が来ることを想像してみたのだ
◇「さようなら一万年」の歌詞を考える
草野心平の詩集『蛙』に、「さようなら一万年」という詩がある。私はこの詩がとても好きだ。そこには次のような四行がある。
いま上天は夜明けにちかく。
東はさびしい Nile Blue で。
ああ さようなら一万年 の。
楽譜のおたまじゃくしの群が一列。
この詩には次のような註が付されている。
《「さようなら一万年」はカルビによって作曲された最も一般的なエレヂー》
これを読んで私は想像してしまった。カルビという名の蛙世界の作曲家が作った「さようなら一万年」には歌詞があって、それはとても有名で、人間界の「第九」に匹敵するものではないだろうかと。それで、私はその歌詞を勝手に考えてみたくなった。
◇「さようなら一万年」に寄せて
一万年の
古池に
幾百万の
蛙たち
一斉に
飛び込んだ
ああ
古池の
その水は
一瞬にして
干からびた
さようなら
一万年
さようなら
一万年
2018.4.4