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【ショートショート】アイアンガール

 数日前から、遥は自分の胸のふたつの膨らみの真ん中のあたり、みぞおちよりも少し上のあたりに違和感を感じていたのだが、今夜風呂上がりに、鏡で自分の裸を見た時に、その違和感を感じていたちょうどそこが、なんだか丸く膨らんでガラスのような材質になっているのを見つけた。
 色は濃いブルーで、大きさはちょうどゴルフボールくらいで、それが半分が体の中にあって、半分がみぞおちから外に露出しているような感じだ。青くて、硬くて、光沢もあるので、大きくてきれいな宝石のようにも見える。
 「えっ、なに?!」
 遥はビックリして思わず叫んでしまった。
 ただでさえ、小さな胸がコンプレックスなのに、さらにこんなのができてしまったら一体私はどうしたらいいのよ。
 その”できもの?”のようなものに触ってみても、痛みはないしかゆみも感じない。ただ、無機質な硬さのみが触れる指先に冷淡に伝わってくるだけだ。
 「もう! どうして私だけがこんな目に合わなければいけないわけ?」
 腹を立てて、そうつぶやくと、なんとなくその物体のあたりが若干あたたかくなったような気がした。
 でも、明日になったらなくなっているかもしれないわ。
、彼女はそう思い、その夜は早めに眠ることにした。
 
 次の日は土曜日だった。大学もコーヒーチェーン店でのアルバイトも休みだった。
 朝起きて、彼女は鏡の前で自分の胸を見た――というか見るまでもなくそれがそこにあることは感じられていたので、念のための確認のための作業に過ぎなかった。それは、きれいに磨かれた宝石のようにそこに存在していた。
 遥はうっとりとそれを眺め、
 「これが首飾りだったら素敵だったのになぁ」
 と残念そうに口をとんがらせたのだった。
 とりあえず遥は皮膚科に行くことにした。場所が場所だけに、恥ずかしいので、タウンガイドで女医さんを探して。
 
 皮膚科の女医さんは、遥よりかなり年上らしい女性だった。女医は遥の胸にできたできものを見て首を傾げた。
 「こんなの初めて見たわ。痛みは?」
 「痛みはありません」
 「何でしょうねー」女医はますます首を傾げる。「なんか、どっかで見たような気がするのよねー」
 言いながら、天井を見上げ、ボールペンでこめかみをトントンと叩く。
 ――頼んないなぁ。失敗だったかなぁ、この医者は。
 遥は、けげんな表情を浮かべながら、女医の顔を眺めていた。すると、その女医の少したるみ始めた皮膚の奥の方から、突然薄ら笑いが表面に浮き出てきた。
 「そうそう、ウルトラマンのカラータイマーってちょうどそんな感じだったわよね。」彼女は言った。「もしくは、ほら・・・アメコミのヒーローの・・・なんて言ったかしら・・・機械のスーツを着てる奴?」
 女医は、かわいらしさをアピールする時のように小首をきゅっとかしげて言った。
 「アイアンマンでしょうか?」
 遥は恐る恐る言ってみた。すると女医は、
 「そうそう、それそれ!」
 と、もはや可笑しさを隠そうともせず、手を打って笑い出した。
 遥は彼女のおかしそうな笑い声に腹が立ってきた。しかし女医は笑い続けている。
 遥のこみ上がる怒りのボルテージはますます上昇する。目の前がくらくらし始める。すると、それに符合するかのように、胸のあたりがとても熱くなってきたのだ。
 「え、なに? 熱っ?!」
 遥は驚いて自分のはだけた胸を見た。なんと胸のできものが白く光り始めているではないか。まるで本物の宝石のように美しく輝きながら・・・(いや、本当の宝石は光ったりしないよね、とも思いながら)
 女医もそれを見て、目を丸くして驚いた。そして、とり繕うように真剣な表情をつくった。パニックを隠し、ここは医者としてのプライドと冷静さを示さねならない、と無意識に思ったのだろう。
 「では、一応軟膏を処方しておきましょう。これでいったん様子を見ておいてください。それで、治らなかったら・・またきてください」
 遥は唖然とした。
 「はぁ? 軟膏なんかで治るわけないやろが、この塊が?! 藪医者もいいとこやな、こいつ。二度とくるか!」
 もちろん口には出さなかったけれど、そのとき、胸の奥に抑えていたムカムカムカー!が絶頂に達したかと思うと、突然胸がフラッシュのように光って、胸の宝石から白光りする光の筒のようなものが飛び出した。
 ジュオオッ!!
 ビームを腹に受けた女医は、うっ! と短くうめいて、苦しそうに体をふたつに折った。
 遥もびっくりしてた。そして、慌ててシャツの前のボタンをはめて逃げ出したのだった。

 *****


 しばらく、走っていた遥だったが、もう誰も追いかけてこないとわかると、歩を緩めた。
 肩で息をしながら、周りを見渡した。土曜日の静かな午前中の空気がそこには流れていた。確実に現実の世界だ。
 「一体全体、何だったのよ、今のは?」遥は思った。「あの女医さんは大丈夫だったかしら。多分死んではいないだろうな。私のことを笑ったりするから、天罰よ、天罰!」
 そう思うと、なんとなく気が晴れた。
 気が付くと、そこは彼女が子どものころよく遊んだ雑木林だった。夢中で人に見つからないように逃げてきたから、こんなところに入り込んでしまっていたのだ。
 秋の木の香りや、落ち葉の香りがして、いい気分だった。遥は昔を懐かしむようにぶらぶらと歩きだした。
 すると、目の前に直径1メートルほどの井戸が現れた。彼女が子どものころ、よくザリガニ釣りをした井戸だった。スルメを餌にザリガニを釣って、スルメがなくなったら、今度は釣りあげたザリガニの身をちぎって餌にしてたよな。
 「懐かしいなぁ」
 この井戸がまだあったことに感慨を覚えながら、遥は井戸を覗き込んでみた。深さは、2メートルちょっとくらいだろうか。うっすらと暗い井戸の底には、まだ水が張っているのが見えた。見ると、暗い水面が揺れているのが見える。
 「何だろう?」
 遥は、暗い井戸のそこに目を凝らした。すると、井戸の隅のさらに暗くなっているところに、何やら生き物が浮かんでいるのが見えたのである。それは、岩の壁にかろうじてしがみついていた。
 「え、なに?」
 昨日から何度このセリフを言うのだろうかと思いながら、遥はさらに体を乗り出すようにして井戸の中を覗き込んだ。
 井戸の底にいたのは、小さな仔犬だった。
 「えー? なんでー?」
 誰かにいたずらで落とされたのか、それとも過って落ちた自ら落ちてしまったのかは分からないが、とにかく仔犬が井戸の底でもがいていることは確かだった。小さく情けない声がかすかに聞こえてくるところから、生きてはいる、しかし明らかに弱っていることが伝わてくる。
 手を伸ばしてみてもまるで届かない。近くから棒切れを持っては来たものの、役には立たない。バケツをひもでつるして下ろすことも考えたが、バケツを取りに家まで帰っているうちに手遅れになってしまったら、と思うとそれもできない。
 そうこうしているうちに、仔犬が力尽き始めたのか、声がさらにか弱くなり、そしてついに体が沈み始めたのである。
 「あ、イヤ、ダメ!」
 しかし、仔犬は静かに沈んでいく。
 「ダメ―! 頑張って! 」
 遥が悲痛な叫びを上げた時だった。胸のあたりが、緑色に光りだしたのだ。ブラウスを通してもその光は輝いて見えたのだ。そして、今度はそこがとても冷たくなってきた。
 「え、なに?」
 遥がびっくりすると同時に、緑色の光の束が彼女の胸からほとばしるように飛び出したのだ。
 「ダメー」
 遥はまた、その光が仔犬を攻撃すると思ったのだ。緑のビームが、仔犬めがけて突き進んでいく。ああ、と思った瞬間、仔犬の手前でビームは曲がり、円を描くように動いたかと思うと、沈んでいく仔犬を救いあげたのだ。そして、ゆっくりと仔犬を井戸の外まで引き上げてから、静かに光は消えたのだった。


*****


 あの日以降、遥は助けた仔犬を家で飼うことにした。ずぶぬれで、いかにも弱々しい仔犬に遥の母性本能がくすぐられたのだ。仔犬は柴犬に似た雑種で、彼女は彼との出会いの場所にちなんで、彼の名を”イド”と名付けた。

 あの日から、彼女は怒りをコントロールする毎日を続けていた。胸が熱くなり始めるのを感じると――物理的に熱くなるのでよくわかるのだ――、怒りを鎮め、できるだけ平常心を保つよう努力するようになっていた。
 そのおかげもあってか、人から好感を持たれることも多くなり、大学でも、アルバイト先のコーヒーチェーン店でも頼られる存在になっていったのだった。

 それから、白い光線とは違って、緑の光線には人を助ける能力があることが分かってきた。

 ある日なんかは、イドを連れて夜に散歩をしていたときに、暴漢に追われる女性を救ったこともあったし、ある時にはビルから転落した90歳の男性を助けたろこともした。そしてついこないだなどは、運転手の乱心により暴走した列車が、カーブで脱線して民家に突っ込もうとしたところに偶然遭遇し、危機一髪で列車を線路に戻し上げたところでもあった。
 「まさに私、アイアンガールじゃね?」
 遥は思った。この緑の光はまさにスーパーな力を持っていた。
 「でもなぁ。このできものの見た目だけはなんとかならないかなあ」
 彼女は鏡を見て悩むのだ。小さいふたつの胸の間にできた、宝石のような堅いできもの。綺麗なものではあったけれど、それは遥の胸のもうひとつの悩みになっていた。
 そんなことを思うのも、遥に彼氏ができたからだった。
 怒りをコントロールすることにより身につけた好感度の高い遥。そのおかげで、バイトでずっとカッコいいなと思っていた男子とつき合うことになったのだ。
 バイト仲間の女子からは、
 「なんであんな奴とつき合うの」
 と言われることもあったけど。遥には何のことか意味が分からなかった。実はバイトを始めた頃からずっと奏太に憧れていたのだから。
 それで、今回は3回目の奏太とのデート。これまでは、映画に入ったり、ラーメンを食べたりだけだったけど、3回目のデートには、何か大きな意味があるのでは、と遥はひそかに思っていたのだった。
 今日も、映画を観て、そして夕食にはファミリーレストランで、遥はチーズドリアを、奏太はハンバーグドリアを食べた。そして、外の出た頃には、もうすっかり暗くなっていた。いつの間にか、海のそばのエリアまで歩いてきていた。
 「ドリア、おいしかったね」
 奏太が言う。
 「うん、おいしかった」遥はうなずく。「海の香りがするね」
 「海だからね」
 と奏太。
 「いい香り」
 遥が言うと、
 「そうだね。」と奏太。「でも、海ってその中でいろんな生き物がいてさ、でも同時にそこでいっぱい死んでいってるわけじゃん。フンなんかも全部混じってるしさ、きれいなんだか、汚いんだかよくわかんなくない?」
 「そうね」
 遥は言った。奏太が何を言っているのか、半分わからなくなるくらい、頭がぼーっとして、心臓がドキドキしていた。
 奏太は、ふと立ち止まり、遥の方を向いた。
 遥は緊張し、ゆっくりと唾を飲み込んだ。
 ――これは・・・ついにキスか・・・?
 遥はときめいた。しかし同時に胸の”例のやつ”が熱を持ち始めたのも感じ取った。
 ――やばい・・・。
 彼女はとっさに、
 「もう帰らなくちゃ。イドに餌をあげる時間だわ」
 と気持ちを静めようと試みたが、奏太はもう止まらなかった。
 「犬なんて、どうだっていいじゃないか」
 そして奏太は、遥の体を強引に自分の方に向けさせた。遥のドキドキはますます強くなる。彼が目をつぶり、その薄めの唇が静かに遥の方に近づいてくるのが見える。遥の心臓の鼓動は最高潮に達するところだった。見ると、胸がピンクに光っている。
 ――ピンク? 白じゃない?
 遥は、一瞬戸惑った。ピンクの光は初めてだったのだ。熱くなってくるのは、白い光の時と同じだったけど、その熱さも白の時とは若干違うように思われた。なんだか暖かくて、冬の寒い夜にあたたかいベッドにもぐり込むときのような、そんな幸福感的な熱であった。
 ――もしかしたら、胸からピンクの光が飛び出して、キューピッドの矢みたいに奏太に刺さっちゃうかも!
 遥は、とっさの短い間に想像を膨らませた。
 ――でも、この胸の変な奴を見られたら、奏太はなんて言うだろうな?
 奏太の顔は、ますます遥に近づいてくる。遥の気持ちは高ぶった、まるで天にも昇るような・・・
 その時だった。彼女の胸からピンク色の光が一気に発射されたのだ。
 一瞬だった。雷が落ちるときのような轟音とともに。
 奏太は、吹き飛んだ。倒れこんだまま、何が起こったのかわからない表情で、うめき声をあげながら遥の方も見上げると、再び遥の胸からピンク色の稲妻が激しい雷鳴とともに矢継ぎ早に繰り出されたのだった。
 それは、壮観な眺めだった。驚きながらも、遥はその激しさと美しさから、なんらかの感動さえ覚えるくらいだった。
 得体のしれない攻撃を受け続ける奏太は、よれよれになりながらも海辺に立ち上がる。この攻撃を受けて立ち上がるのは信じられないことではあったが、その直後、彼は最後の稲妻を受け、海に落ちていった。
 「え、なんで?」
 遥は堤防の端まで行き、海を覗き込んだが、もうすでに奏太の姿はどこにも見当たらなくなっていた。
 潮風が遥の頬をすり抜けていく。
 「やっぱりいい香りだよ」
 遥はひとりごちた。
 そして、早く帰ってイドに餌をあげなくちゃ、思ったのだった。

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