【ランダムnote】警策でぶん殴ってやろうかと思うとき
起
最近妻と話していて、好きなことを見つけるのって難しいという話になった。環境や状況によって変化しても良いのに、これが好き!というのを選択、決定してやり続けないといけない感じがある。ほほぅ、では最初から好きを見つけるのではなく嫌いなことを挙げてみようとなり、そこからなんやかんやあり許せないことを挙げる流れとなった。
承
母の実家がお寺のため小学生の時に得度し、お釈迦さまの弟子となった私でさえ許せない案件がある。仏の顔も三度までと言うがこの案件を見たら三度という余地はない。中橋の顔も一度までの案件である。
転
許せない案件がこちら
「それ、誰を幸せにしたいの?」と聞きたくなるような発言や行動。言いたいことを言うのは悪いことでは無いし、保身や優越感もあって然るべきとも考える。しかし、発言や行動のウラにポリシーや信念無き、しょうもない保身やくだらない優越感などが見えたときは心の中でブチギレテイル。阿修羅の如くブチギレテイル。くだらない言い訳すんなよと。
結
この世に生きている限り、人とのつながりや気持ちを無視することはできない。そんな中、鬼の首を取ったかのように、嬉々としてくだらない優越感などに浸っているのを見ると警策でぶん殴ってやろうかと思う。警策とは座禅の時にシバかれる棒のこと。
以上のことを書きながら、あわてない、あわてない、一休み、一休みとアニメ「一休さん」の言葉を思い出しながら、自分自身まだまだ修行が足らんなと思う今日この頃。
あとがき
母の実家は曹洞宗のため、私自身も曹洞宗の得度を受けた。そのため今回のようなことがあると私はかなりブチギレル、いや相当ブチギレル。曹洞宗だけに、、、
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