誰かが読んでくれているって、すごいことだと思う
2022年2月5日にnoteを始めて、今日で2年になります。
2日に始めていたら、覚えやすかったんですけど(笑)
SNSに全く無縁だった私が、こんなに続けられているとは。
自分に「楽しみが見つかってよかったやん!」と、肩をポンポンしてやりたい気持ちになっています。
正直言うと、いつもどこかで、「しんどくなったら、いつ辞めてもいいんだし」っていう逃げ道を作りながら続けていたように思います。
今でも、その無責任な感覚が、私を楽にしてくれています。
とはいえ、noteが楽しくなり、すっかり自分の生活の一部になっているのも間違いないことです。
書くことも、読むことも楽しいですが、繋がることも嬉しい。
娘と家の中ばかりにいる私が、広い世界のなかの、さまざまなの方々と繋がっていることを、
「俺よりお前、リア充やん!」
って、あんまりnoteをわかっていないし、全く読んだこともない夫が、古いんだか新しいんだかわからない言葉で褒めてくれました。
不覚にも、ちょっと嬉しかったです。
書く時間は、じっくりと自分を見つめ直す時間でもあるので、自分の過去も未来も現在も、出逢いも経験も、その全てが書くことで彩りのあるものになっていくように感じます。
また、自分の書いたものを残すことって、ぼんやりした記憶だけでなく、その時の気持ちも残せるので、それは自分にとって、未来の財産になるんじゃないかな、と思ったりもします。
みたいないろいろな理由もありつつ、書くことが私は好きなんだな、と思います。
noteを読む時間も、とっても有意義だと思っています。本とはまた違って、「相手」の存在を感じながら心配したり共感したり、自分の知らない人生を学んだり考えさせられたり、noteにはそんな楽しさや発見が溢れています。
わかるわぁ、とか。
おもしろいなぁ、とか。
うまいなぁ、とか。
つい口から出てしまう。
きっと自分の書く文章も、読むことからたくさんの影響を受けていると思います。
noteを始めたばかりの頃の、スキやフォローの意味さえもさっぱりわからなかった私からは想像できないほど、今の私はこんな偉そうにnoteを語っちゃっていて、ほんとに不思議です。
2年間の重さをあらためてズシリと感じています。
3年半くらい前、
「50歳からの生き方で人生が大きく変わる。人生は思っているよりも短い。」
というような内容の本をコロナ禍に読み、刺激を受けて、以前から興味があった「エッセイを書くこと」を始めました。
もちろん、難病の娘のことをもっと広く知ってもらいたい想いもあって、です。
まずは一般公募のエッセイにチャレンジして、次はnoteにまでも挑戦して。
何かしら動いてみると、そこからやりたいことや好きなことが見つかって、少しだけ成果のようなご褒美があって、それで生き方が濃くなるような気がしています。
やっぱり、動いてみるって大事だな、と。
50歳からに限らず、すべての世代に当てはまることだと思います。
子どもにも、なんだか楽しそうなことを一生懸命にやっている母を見せることって悪くないな、とか思っています。
寒い親父ギャグをついつい言ってしまう私に、息子が必ず
「お!やっぱ違ぇな、すごいわ!さすがエッセイスト!」
とか、いじってきます。
「ちょっとぉ、恥ずかしいからやめてよ!」とか言いながら、不覚にも、実はかなり嬉しく受け止めております。
そして、タイトルにもあるように、自分の書いたものを読んでもらえるって、すごいことだなぁって、しみじみと、そう思います。
一般公募では受賞しない限り、選考する方にしかエッセイを読まれないことがほとんどですが、noteは誰もが読めるので、読んでもらえるチャンスが多い。
あんまり見たことがないダッシュボードのアクセス状況を見て、その数字に、スマホを握りしめて深々と頭を下げました。
初めてnoteでスキをいただいた時を思い出します。あの時もスマホを握りしめて、正座しながら頭を下げたなぁって。
タイパ、時短の現代
みんながとっても忙しい時代
楽しい情報が溢れている時代
そんななかで、たくさんの文章の中から私が書いたものに出会ってもらって、読んでもらえるって、ほんとに、ほんとにありがたくて、奇跡のようなことだと思っています。
読んでくださったすべての方に感謝です。
note3年目も、書くこと、読むことを楽しめる私でありますように。
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