祖母のナイショ話
年の瀬の寒い冬の夜、小学生だった私をぎゅっと抱きしめて、祖母が耳元で内緒話をしてくれました。
「琲音ちゃんだけに教えてあげるけん、みんなには、ゆうたらいけんよ。」
大好きな祖母が、金色に縁取られた前歯を見せながら、クシャクシャって笑っていた顔を、この時期になると思い出します。
今から45年くらい前のことになりますが、祖母の可愛らしい内緒話にお付き合いくださいね。
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私の両親は、瀬戸内海に浮かぶ大三島という、島の出身だ。父母は結婚して、関西で暮らし始めた。
私が小学生の間は、毎年、夏休みや冬休みになると、二つ下の妹と2人だけで島へ行き、母方の祖父母の家で長期休みのほとんどの時間を過ごした。
島に暮らすいとこ達も祖父母の家に泊まりに来て、朝から晩まで大騒ぎ。
孫たちのご飯から洗濯、風呂の世話まで、全てのことを祖母がほとんどひとりでやってくれていた。
だから私は、瀬戸内の祖父母の家も、自分の実家のように思っている。
祖父母の家の年末年始は、すごい賑わいだった。親戚もどんどん帰省してくるので、毎晩のように大人たちは宴会ばかりしている。
商売が忙しかった両親も、大晦日には島に帰ってきて、一緒にお正月を過ごしていた。
私たち子どもは遊び呆け、食べ放題、夜更かし放題で、1年の中で唯一「早く寝なさい」と叱られない特別な数日間だった。
ところが、私の小学生時代の冬休みで一番思い出すシーンは、そんな賑やかな年越しでも美味しいお節料理でもない。
祖母の布団に潜り込んで眠った、穏やかで静かな夜のことなのだ。
あの日はおそらく、クリスマスから数日経った頃だったと思う。
私は小学校の2、3年生だった。
めずらしく、いとこ達がみんなそれぞれの家へ戻り、私と妹が祖父母を独占できるゆったりした夜があった。
妹は祖父と、私は祖母と、それぞれが別々の部屋で寝ることになった。
私は自分の布団を抜け出して、隣の祖母の布団に潜り込み、鼻先が付くくらいに祖母にくっついて、おしゃべりを始めた。
私が、当時好きだったクラスの男の子の話をすると、祖母は
「好きな人がおるんは、ええことよ。」
と嬉しそうに笑って、私の頭を撫でて、すごく褒めてくれた。
私も祖母に好きな人を尋ねてみた。
ご近所でも「やきもち焼き」として有名なくらいに、祖父のことが大好きだった祖母は、当然「おじいちゃん」と答えるだろうと思っていた。
だが祖母は、恥ずかしそうに目を細めて、小声で私に言ったのだ。
内緒だよ、と前置きをして。
「おばあちゃん、ジューリーが一番好きなんよ。沢田研二、琲音ちゃんも知っとろ?男前で歌が上手だし、かっこよかろう。」
沢田研二かぁ!
当時、めちゃくちゃ人気があった、甘いマスクで色気のある歌手だ。
祖父は高倉健さんにとっても似ている。
祖父とジュリーのギャップが子ども心にもおかしくて、祖母があまりにも可愛らしくて、私は祖母に抱きついてクスクスと笑ってしまった。
ふくよかな祖母の、ラーメンどんぶり2つ伏せてくっつけたぐらいの、大きな大きなお胸にうずくまりながら。
あの日の、はにかんだ祖母の笑顔は、今でも私の心をポカポカさせる。
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祖父が亡くなって、もう30年近く経ちます。祖母はその10年後に、祖父のところへ旅立ちました。
現在は、祖父母の家には叔母がひとりで暮らしていて、島のお正月もすっかり静かになりました。
遠い遠い昔だけれど、祖父母が私を呼ぶ声がはっきり思い出せるくらいに、2人から大事にしてもらった記憶は、今でも私をあたたかく包んでくれています。
いつか私もおばあちゃんになれたら、祖母のように、孫を安心して任せてもらえるようなおばあちゃんになりたいです。
そして、孫にくっついて一緒に寝てもらえるような、孫からも慕われる可愛いおばあちゃんになりたいです。
ラーメンどんぶりサイズのお胸は、残念ながら遺伝しませんでしたが…。
私のかなえたい夢のひとつです。
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これが今年最後のnoteになります。
クリスマスは夫がインフルエンザに罹患し、我が家はちょっと大変でしたが、何とか誰にもうつらずに乗り越えられました。
家族揃って、ゆったりと年を越せそうです。
年末年始は家族の生活を最優先にしながら、時間が許せばnoteも読みに行きたいと思っています。
今年もたくさんの交流をありがとうございました。仲良くしていただき、ほんとに嬉しかったです。
読んで、読んでもらって、で繋がるnote。そこから生まれるあたたかい関係に、不思議なほどの信頼を感じます。
書くことが、今のところはめちゃくちゃ楽しいし、読むことも、毎日の楽しみな習慣になっているので、優しい交流を大事にしながら、また来年も自分の気持ちが赴くままにnoteを楽しんでいきたいです。
来年もどうぞよろしくお願いします。
皆さま、良いお年をお迎えくださいね。